夏のひまわり
「夏休みの課題は油絵を一枚描くことです」
そう言われたとき、思わず苦笑いが抑えられなかった。
得意な中国語と英語はともかく、以前、嫌いだった数学でも必死に勉強したらいい得点がもらえるのに、多分お絵かきとの相性が悪いのか、美術だけはどんなに頑張って描いてもギリギリの合格点しか取れなかった。
たとえ頑張っても意味がないよ。何という恐ろしい一言だろう。八歳のわたしは何を描けばいいかずっと悩んでいた。
やがて夏休みに入り、「おばあちゃんの家に行こう」と久々にお母さんの故郷へ帰った。「安徽」という中国の中部地方にあり、上海と違って四季がはっきりしている。春になると、スズメが木の枝に立ち「命のはじまり」という歌を謳歌し、南から吹いてくる風に乗せて、タンポポがゆらりとやってきて、安徽の青空を白く染める。夏になると、真上にある太陽の視線を恐れずに、従兄弟と外に駆け出し、畑やら川やらいろんなところで遊びまくる。秋になると、門の近くにある蜜柑の木へこっそりと近づき、みんなが気づいていないときに必死に揺らして、ざらざらした葉っぱの音とともに蜜柑が落ちてきたら、従兄弟たちと一緒に喜んで分けて食べる。冬になると、雪化粧した土の道の上で震えながらもドキドキながら雪合戦をしていた。
私にとって、故郷は楽園だった。そこに戻ったら都会である上海の空模様も不愛想に見えてきて、都会っ子のわたしには憧れていたパラダイスでもあり、そして楽しい遊園地のようなところでもある。なによりもおばあちゃんの家の近くには大きな畑がいくつかあって、畑に勝る最高な遊び場はこの世にないだろう。外の世界が一体、何を引き寄せてくれるのかは分からないが、子供の頃のわたしはどうしても家でじっとしてはいられなかった。
昔は汽車で六時間以上もかかったが、今、リニアモーターカーで三時間もかからなかった。おばあちゃんの家に着いたらもう正午過ぎになり、セミがコンサートを開いているところだった。暖かい光が部屋の中へ入りこんできて、このような心地よい午後にはだれでも眠くなるだろう。荷物を置いて簡単に整理したら、 大人たちはお昼寝の準備をしていた。
こんなにもいいタイミングを逃すわけにはいかない。大人がちゃんと寝ているのを確認したあと、足音を忍ばせて部屋を出た。「気を付けよう。音を立てないように」と鉄の門までこっそりやってきて、門をゆっくりと押し、外へ駆け出した。
どこへ行けばいいかな。自由を手に入れた先に早くも迷い始めた。すると道先の端に従兄弟たちがなにかを持って遊んでいる。
「何してるの?」
「び、びっくりした…。あ、お姉ちゃんだ!今ね、鬼ごっこしてるの。ひまわり畑からこれを摘み取ってきたから、鬼になる人はこれを持つんだー」と手に持っているひまわりを大きく振って、従兄弟は自慢げに話していた。
ひまわり畑?そんな畑があったの?
「お姉ちゃんがあまり戻らないから…。」
「この道をまっすぐ行って、突き当たりに湖が見えるところを左に曲がると、とっても大きなひまわり畑が見えるよ。」
それを聞いた瞬間、心のどこかで「いますぐ行きたい」と叫び始めた。
「ちょっと行ってくるね」と、従兄弟たちと別れて、私はひまわり畑を探す旅に出た。
目の前に広がるのは長い土の道。それを通ったら大きな湖にたどりつける。そして、左に曲がってまっすぐと…。
しかし、太陽の光を浴びすぎたのか、目に入った土の道が少し揺れているように見える。セミは相変わらずどこでもコンサートを開いているが、わたしは「さー、早く見つけよう」と急に猛ダッシュした。早く、早く。なにかに急かされている。おばあちゃんの家もいつの間にか見えなくなった。湖にたどり着いた。一番暑いときに生まれたわたしは暑さなんて怖くないよ。
湖に着いたら左に曲ろう。もうすぐだ。なんか潮のにおいが鼻先を漂ってくる。おかしいね。湖なのに海の涼しさがある。全然暑くないね。どこまでがゴールなのかわからないけど。でも、走ろう!
しばらく走ったら、ぽつんぽつんと黄色い花の海が見えてきた。やっと、やっとひまわり畑に着いた。わたしは興奮を抑えきれず、「わー」と口を大きく開いた。
目に映ったさきには、数多くのひまわりがすくすくと生きた姿だった。
「太陽のような花」、それが向日葵に含まれている意味だ。緑の茎がまっすぐ上を力強く支えているから、もしかして花びらも硬いのではないかと思いきや、いざ触ってみるとなんて柔らかいんだろう。一本一本のひまわりに様々な性格が見える。恥ずかしいお嬢さんのように顔を半分隠しているひまわりもあれば、この炎天下をなんとも思わない、凛々しいひまわりもある。
最も人間に近い花だと思った。
わたしはひまわり畑に潜りこんで、一本一本じっと見ていた。時には蜂の姿も見えるが、「蜂蜜のために一生懸命頑張っているよ」と思ったら、蜂への怖さも半分なくなった。
どの花にも妖精が宿っているに違いない。このひまわりも例外ではなかった。その証拠として、周りにはひまわりの妖精のささやきが聞こえてきた。
「こんにちはー」
「どこから来たの?」
「ひまわりの世界へようこそ、楽しんでね~」
妖精たちの後について、いろいろなひまわりと挨拶を交わした。どのひまわりも暖かい目線を送ってくれたら、また愛おしく太陽を見守っている。このひまわりも、そのひまわりも、まるでなにかの使命を果たしているように…。
しばらく歩いて、ひまわりと遊んで、一休みしよう。一通り挨拶したら帰ろうと思った時、ふと一本のひまわりに引き寄せられた。
年を取ったせいか、腰が曲って活気がなくなり地面へ俯いてしまった。しかしよくよく見たら、腰を支える緑の茎がまだ真上の太陽のほうへ向いている。
「まだなくなってまもない頃だけど、でも、わたしたちの使命は太陽を追い続けることだから…。」
妖精が小さく語っている。
誰しもいつか死と向きあうときがやってくるかもしれない。そしてだれかに見つけられるかもしれない。ひまわりのプライドと言えるのか、このひまわりの魂は消えることなく、太陽を追い続けている。
私も、そのひまわりのような人になりたかった。
太陽のような情熱で物事と向き合う。たとえ風に吹かれようと雨に打たれようといつも空を仰いでいる。意地ではないかと時々そう思うかもしれないが、それでも私は夢を追い続けたい。強く、美しく、ポジティブに生きていきたい。たとえ人生には必ずつらいことや悲しいことがやってくるとしても、私は堂々と向き合いたい。
妖精と別れたあと、わたしはおばあちゃんの家に帰ろうとした。今度はなんの迷いもなかった。
「絵の具があれば私は一本のひまわりを書こう。」
そう思うと、急に足が軽くなってきて、わたしは走ってきた。
➤2020年7月初稿・久々に外の空気を吸い込んだあの夏より