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雪は豊年の瑞:日光の旅(3)

 滝尾神社から出て、しばらく山道が続いていて、登ったり下がったりすると、だんだん下り道になり、午後二時ぐらいにようやく大猷院と二荒山神社に着いた。

 昔から縁結びで有名な二荒山神社では三大の御神木があって、それぞれ縁結びの御神木と夫婦杉、親子杉である。夫婦円満と縁結びの神様がそこに宿っているので、カップルと夫婦が多かった。わたしは丁寧に合掌し、そして真心を込めて縁結びの神様に「彼氏に出会わせてください」と心の中でしっかりと願った。十分大きな心の声だったから神様にはきっと聞こえただろう。


二荒山神社にあるむずび天国

 二荒山神社から出て右へ曲がると大猷院の入り口が見える。全体的な雰囲気は輪王寺とあまり変わらないが、父・家康をしのいではいけないという色彩と彫刻を控えた徳川家光の考えが見られる。それでも中をじっくり鑑賞したら重厚な雰囲気に包まれていた。
 日光の社寺を全部見回ったのが午後三時ぐらいであり、まだ時間があるので中禅寺湖の夕日を見てみようと思って、山を降りてまたバスに乗り、曲がりくねったいろは坂を通って今度は中禅寺湖に向かった。
 夕日に満ちた中禅寺湖は初日の終わりを告げ、骨に突き刺さるほどの寒風の中で、わたしは日の入りを静かに見守っていた。湖に沿って少し散歩したら、冬期休暇で開かないお店がたくさんあった。それでもだれもいないからこのような景色を一人占めにできると感じつつ、だれかとここの物語をシェアしたいけれど、できないという寂しさも感じていた。孤独とは天地の中でわたしだけがそこにいて、寂しさを味わっていることだと思い知ったのであろう。そう考えながら最初のわくわくした気持ちがだんだん静まり返って、そして最後は湖と一緒に落ち着いてきた。またあしたの朝もう一度来ようと決め、帰りのバスに乗って民宿のほうへ戻った。

中禅寺湖の夕日

 民宿のおばあさんの案内で晩ご飯を食べた後、お風呂に入った。ぼつぼつと水たまりを作って手の平に乗せ、その水の中から昼間の雪の景色が浮かんできた。前の日に雪が降ったと天気予報でそう流れていたが当日の朝は道の両側にまとめられ、旅人の目に入ったら雪の壁というより道路のガードらしきものになり、一番心強いボディーガードでもなったような感じがした。
 雪はとても不思議なものだった。時には柔らかく、時には硬く、そしてどんな形にもなれる。上海で生まれ育った私はずっと雪とかけ離れた世界に住んでいた。生まれてから20年間、ほとんど雪の降らないこの街がたった一度だけ舞い降りたことがあった。それも記憶の中で随分前のことだから雪は一体どういう感じなのかしばらく思い出せなかった。
 その日の夜、目を瞑ったらしばらく暗闇に沈んだが、大雪が降りだした二〇〇八年の冬のことが思わず夢の中に映った。朝、窓をピシッと開けると、ミルクキャンディーに塗られた住宅街の景色が絵のように広がっていた。一夜を明けても消えることなく、車の上に、土の上に、そして道の上に現れた雪にわたしは喜びを隠しきれなかった。「雪だるまをつくろう」と下で呼んでくる友達の誘いに、まだ小学生だったわたしは興奮を抑えきれず、なにもかも捨てたようにマフラーも手袋もつけないまま窓から下のほうへ飛び出した。
 小さい公園の中で1~2センチぐらい雪が積み重ねていた。「それじゃ大きな、大きな雪だるまを作るよ」と友達のりんちゃんは両手を大きく振って、みんなは頷き、手分けして動き出した。
 わたしは雪だるまの体を作ることにした。スコープで丁寧に雪を盛り、一メートル離れたところへ降ろし、また戻の場所で雪を掘る。何度も、何度も、飽きなく積み重ねていく。
「将来の夢はなに?」
 手を動かしながらりんちゃんからそう聞かれた。
「まだ考えてないね。りんちゃんは?」
「わたしは、人の役に立てそうなお仕事に就きたい」
と微笑みながらりんちゃんは明るく、そして躊躇なく答えた。
「りんちゃんならきっと叶えられるよ」
「わたしもずっと応援しているよ!」
 りんちゃんとお互いを見て笑った。私たちは張り切って雪だるまを作っている。日の光に浴びながら雪だるまを作っている。雪は全然解けなかった。そしてどんなに盛っても減らなかった。雪は積み重ねていく…。
 目を開けると朝がやってきた。夢なのか現実なのか一瞬わからなかった。「ここは…そうだ!今日光にいる。何時だ?あ、九時。今日は雪を見に行かないと」と思いだしたように急いで起き上がった。「今日は雪が降るかな…。」と少し期待していたが外を覗くとき、すっかりと晴れていた。
 既に何センチもの雪が道路の両側にため込まれ、今度もすれ違ったと残念がっていた。民宿のおばあさんが作った本番の和食で体を温め、再び旅に出た私は戦場ヶ原に向かった。

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