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十三回忌の決意と実感と決意

こんにちは。山本です。

少しだけ自慢させて下さい。

「僕たちは人の人生に関わる仕事をしているよね。幸せだよね。」
と言うことをスタッフと分かち合うために、年に1回クライアントさんにわがままを言って、この1年間のエピソードやお写真を頂いております。

毎回、色々なお姿を拝見できてとても楽しいのですが、
今回も感動的なお話を頂戴しました。こんな素敵な方と仕事ができていて幸せです。

以下

「当たり前に出来る」こと

この夏に後期高齢者の保険証が届いた。時を同じくして市役所からアンケート用紙が郵送され、「ひとりでバスに乗れますか」「自宅にまっすぐ帰れますか」との返事を求められて唖然とした。「当たり前に出来た」ことが出来なくなる年齢が来ましたよと判を押された気分である。

そんな中、秋の終わりの頃一大決心をして夫の遺品整理を始めた。膨大な数の本と趣味の写真関係の道具類。私の手に負えるものではないと子供たちは反対した。専門書が多く、何よりも2階の書斎から階下へ本を運び出す階段が最も怖いと口を揃えて言う。しかし子供たちの力を借りることは難しいし、彼らがこの本を必要としている訳ではない。いつかまとめてゴミに出される運命を考えると、何としても私の手で始末したかった。

転勤で三回引っ越しをしたが、その度に夫が最優先に取り掛かるのは自分の本だった。一冊一冊にハタキを掛けながらその本にかける思いを語りひとつもはかどらない。背中に子供をおんぶして必死に片付けをしている私に急かされたり非難を浴びたりしていたものだった。こんなに大事にしていた夫の本の処分。十三年もの間手をつけることが出来なかった。

7,800冊もあっただろうか。分厚いハードカバーの本や硬い表紙の大判の物など、毎日毎日時間があれば2階の書棚から本を抜いては紐で縛る作業を繰り返した。そして資源ゴミの日に合わせて階下へ降ろした。

作業が終わる頃になってハッと気がついた。こんなに重労働を続けたのに体に異変を感じないのである。重い本を両手に持っての階段の上り下り、足腰だけでなく両手にも相当負担がかかっているはずである。

子供の反対を押しきって作業に取り掛かってみたものの一抹の不安は常に消えなかった。階段から足を踏み外しはしないだろうか、腰や背中に痛みが出るのではないか、第一部屋中に荷物を広げたあげく収拾がつかなくなってしまったらどうしようかと。でも何とか1人でやり遂げることができた。達成感と充実感。後期高齢者でもまだやれると言うわずかの自信。自分にご褒美をあげたい気分である。

膝の痛みからリハビリに通い始めて4年近くになる。自転車のペダルを踏む足も以前より力強く感じられ、鍛えていけば「当たり前」にできたことが「当たり前」のままの歳を重ねることができると実感している。

自分の年齢は周囲が決めるものではなく自分が決めるものだと思う。いつか「当たり前にできた」ことが出来なくなる日が来るだろう。でもそれを恐れずその時期をぐんと遅らせる努力をやってみようと自分に言い聞かせている。

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