忘れられない日
2011年3月11日、私は新宿の高島屋にいた。
ちょうど友人と6階に行こうとエスカレーターの乗っていた時
エスカレーターがガタガタうねうねと横に揺れて、一瞬故障かと思った。
従業員の方が『地震です!!すぐにエスカレーターから降りてください』と叫んでいて初めて地震だと気づいた。
6階に急いで駆け上がると、人がバタバタと倒れていて、こんなにケガをした人がいたのか!とよく見るとマネキンだった。(避難訓練が行き届いているなと思ったのは、だいぶ経ってからのことだ。)
とにかく揺れが収まらず、恐怖で震えながら、友人と抱き合っていた。
揺れがおさまり、とにかく落ち着こうと目の前のお店に入る。中国茶のお店だった。店内は特に被害もなく、お客は私達の他に2組だけだった。
みんな怖かったと言い。全く状況がわからず、不安だった。
しばらくして、窓の外をみると、新宿駅から蜘蛛の子を散らしたように大勢の人が出てくるのが見えた。
これは只事ではない!
そして、ようやく東北が震源地ですごい地震だったことがわかり混乱している状況が続いていた。
この日、息子が小学校から帰宅するのでママ友さんたちと新宿でお茶をしながら待っている予定だった。
まずは学校に連絡だ!
携帯も繋がりにくかった。ようやく繋がり、こちらの状況を知らせると、今日の下校は延期することになった。
これが、子どもたちが電車で帰宅する前で本当に良かった。
子どもたちも学校で無事だったことと、中国茶で落ち着いたせいか、やっと状況を理解し始めた。
まず、電車が止まってしまった。
どうやって帰る?
そう思った時にまず腹ごしらえだ!!なぜか友人たちと、この意見が一致!
館内放送では、レストラン街はガスが止まり、閉店となると言っていた。これから、帰宅するまでにお店に入ることやコンビニも大勢の人がいて食事もろくに出来ないと判断した。
この中国茶のお店はまだ、ガスが使えるので、ラーメンを頼み急いで食べた。本当にラッキーだった。
その後、充電器もないので、下の階に買いに行くと、1階はとんでもないことに大勢の人であふれ、なんと自転車まで完売していた。
ごった返している人たちの中で、ブルーシートを買い、お店の中で広げて座り込んでいる人達もいる。
JRはもう、この日は運転は取りやめると判断したため、周りの百貨店も早々に閉店してしまっている。この、高島屋もいつまで開いているかわからない。
充電器はなんとか買えたので、友人と別れ、歩いて帰宅することにした。
帰宅難民になるとは夢にも思わなかった。
つづく
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