2020東京大学 国語 第一問 解答速報
出典は小坂井敏晶「『神の亡霊』6 近代の原罪」。
冒頭に「学校教育を媒介に階層構造が再生産される事実が、日本では注目されてこなかった」とある。
〈参考 平成31年度東京大学学部入学式 祝辞〉
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html
問一「不平等が顕著な米国で、社会主義政党が育たなかった一因はそこにある」とあるが、なぜそういえるのか、説明せよ。(60程)
〈GV解答例〉
集団間の不平等の是正により各人の社会上昇が可能だと信じられる米国では、個人間の能力差の公的是正は自由競争にそぐわないとされるから。(65)
〈参考 S台解答例〉
機会均等に基づく自由競争の下では、現に存在する格差は個人の能力に帰せられ、是正のために社会を変える必要はないとされるから。(61)
〈参考 K塾解答例〉
機会均等に基づく自由競争が自明とされる米国では、勝敗の原因が個人の才能と努力に帰され、格差を生む社会構造を変革する気運が醸成されないから。(69)
〈参考 Yゼミ解答例〉
機会均等に基づく自由競争を信じる米国では不平等は個人の才能と努力の結果とされ、その原因を階級差に求める思想は受け入れ難かったから。(65)
〈参考 T進解答例〉
自由競争が保障され、能力による層化が正当視される社会では、社会的成功の原因は本人の能力の低さに帰せられ、社会変革の必要性の認識は共有されにくいから。(74)
問二「自己責任の根拠は出てこない」とあるが、なぜそういえるのか、説明せよ。(60程)
〈GV解答例〉
近代の表象たる個人の行為を所与と分離し責任を問うとしても、その原因を遡れば結局、外来の遺伝形質と社会影響の相互作用に帰着するから。(65)
〈参考 S台解答例〉
人間のあり方はすべて外部に原因をもち純粋な内部などありえず、自由意志によって行為する主体としての個人とは虚構だから。(58)
〈参考 K塾解答例〉
近代の個人は自由意志に基づいて行為するとされるが、現実には、才能や人格、さらには意志すらも遺伝や環境など外的要因によって形成されるから。(68)
〈参考 Yゼミ解答例〉
自己責任論は責任を個人の内面に求めるが、内面的な意志や意識そのものが既に外部からの記憶と情報の相互作用によって形成されているから。(65)
〈参考 T進解答例〉
近代において主体性を持つ個人の責任を問う根拠となった才能や人格などの内的要因は、実はそれと切り離された外的要因の影響を回避できないから。(68)
問三「先に挙げたメリトクラシーの詭弁がそうだ」とはどういうことか、説明せよ。(60程)
〈GV解答例〉
平等な社会の実現を唱えながら既存の階層構造を強化する能力主義は、支配関係を被支配者の合意に装い不可視化する機制の現れだということ。(65)
〈参考 S台解答例〉
能力主義は、現にある格差を平等な原理に基づく帰結だと納得させ、既存の階層構造を正当化し永続させるものだということ。(57)
〈参考 K塾解答例〉
平等の実現を唱えて個人の能力を重視すれば、能力の優劣にによる支配・被支配の構造をもつ不平等社会が、自明の制度として確立してしまうこと。(67)
〈参考 Yゼミ解答例〉
個人の能力を重視する能力主義は、平等主義を唱えながら格差の根拠を能力差に求めることによって、格差社会を正当化し固定したということ。(65)
〈参考 T進解答例〉
自由競争の下での、出自に囚われぬ平等を謳って格差を正当化する能力主義が社会に受容されると、それが浸透した社会の支配関係が自明視されるということ。(72)
問四「近代は人間に自由と平等をもたらしたのではない。不平等を隠蔽し、正当化する論理が変わっただけだ」とはどういうことか、本文全体の趣旨を踏まえて説明せよ。(120内)
〈GV解答例〉
近代は、不平等の原因を外的所与とした前近代の身分制を打倒し、自由な個人が共存する民主社会を構想したが、実は建前の平等に反し現実にある格差を正当化するために、機会均等の装いの下、その構造的欠陥を個人の能力としての内因に転嫁しているということ。(120)
〈参考 S台解答例〉
近代は、人間を自律した主体と想定し、神や自然を根拠とする身分秩序から解放して個人の努力次第で人生が決まる平等な社会をもたらしたかに見えたが、そのような人間観は虚構であり、現に存在する不平等を個人の責任に転嫁し正当化しているだけだということ。 (120)
〈参考 K塾解答例〉
かつては神や自然などを根拠として不平等が正当化されたが、近代では、遺伝や環境による個人の能力差が考慮されないまま、自由意志という虚構に基づく行為の結果として不平等が生じたとしても、個人の自己責任というかたちで正当化されてしまう、ということ。(120)
〈参考 Yゼミ解答例〉
身分制社会では身分差の根拠が神や自然など共同体の外部に求められ、それによる社会秩序の安定が説かれたのに対し、近代では自由と平等の実現を説きつつも、格差は個人の能力差がもたらすものであるという論理の下に不平等や格差が正当化されたということ。(119)
〈参考 T進解答例〉
近代以前は神や自然等共同体の外部を根拠に社会的不平等が当然視されたが、近代では教育の機会均等により公平な社会の実現を目指すも階層構造が再生産され、自由意志を持つと見なされた個人の能力差を社会的優劣の根拠として、格差が正当化されたということ。(120)
問五
a.培う b.誕生 c.欠陥
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