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2020一橋大学 国語 第二問 解答速報

出典は山路愛山「明治文学史」(明治文語文)。

問一「去りながら博学畢竟拝むべき者なりや否や。」を現代語に訳しなさい。

〈GV解答例〉
しかしながら、広く学問に通じている人は、結局、崇拝するに足る者であるかのどうか。

〈参考 S台解答例〉
とはいえ博学は結局のところ拝めるようなものであるのかどうか。

〈参考 K塾解答例〉
そうではあるが幅広い知識を持つことがつまるところ尊敬に値することであるのかどうか。

〈参考 Yゼミ解答例〉
しかしながら、知識が多いということは結局のところ崇拝に価するものであろうか、どうだろう。

問二「是豈衣装を拝んで人品を忘るる者に非ずや。」とあるが、このたとえで筆者が批判したいのはどういうことか、簡潔に答えなさい(25字以内)

〈GV解答例〉
表面の立派さで人を評し、その中身を吟味しないこと。(25)

〈参考 S台解答例〉
人間をその本質ではなく表面の立派さで評価すること。(25)

〈参考 K塾解答例〉
世間が知恵のある人より単に博識な者を尊重すること。(25)

〈参考 Yゼミ解答例〉
人を人物本位で評価せず、知識ばかりを偏重する態度。(25)

問三 筆者の考える「才子」とはどのようなものか。文章最終行にある「学者先生」と対比しつつ答えなさい。(50字以内)

〈GV解答例〉
外来の知識で議論するだけの学者先生に対し、知識を自らの経験と照合させて血肉化し、知恵へと高めた存在。(50)

〈参考 S台解答例〉
他から得た知識を弄ぶ学者と異なり、事物の本質を自得して、学問を自らの経験につなぐ真の知恵をもつ者。(49)

〈参考 K塾解答例〉
他者の考えを解説するに過ぎない「学者先生」と異なり、自己の経験に基づいて養った知恵を実践できるもの。(50)

〈参考 Yゼミ解答例〉
他人の言説を借りて空虚な議論をする学者先生と対照的に、学問を行動に生かし世の中を発展させられる人物。(50)

#一橋大学 #国語 #山路愛山 #明治文学史

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