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2020一橋大学/国語/第一問/解答解説

【2020一橋大学/国語/第一問/解答解説】

〈本文理解〉
出典は信原幸弘『情動の哲学入門 価値・道徳・生きる意味』。
①段落。感情労働の一番辛いところは、情動を強いられることであろう。…感情労働に従事する人は、自然に湧いてくる自分の労働を抑えて、その場で求められる情動を無理に抱かなければならない。あるいは、少なくとも、そのような情動を抱いているかのように見せなくてはならない。
②段落。では、なぜ感情労働においては、自然な情動を抑えて、不自然な情動を示さなくてはならないのだろうか。なぜそのような情動の管理が要求されるのだろうか。それはもちろん、情動の管理が雇用者の利益につながり、ひいては従業員の利益につながるからである。…
③段落。では、利益のために求められる情動が強いられたものでなく、ごく自然なものになれば、それでよいのだろうか。仕事に慣れてくれば、理不尽な要求をしてくる客であっても、仕事だと思って自然に笑顔で応対できるようになってくるだろう。仕事でなければ、当然、理不尽な要求をしてくる人には怒りを覚えるが、仕事であれば、とくに怒りを感じることもなく、笑顔を見せることができる。つまり、仕事かどうかで、切り替えができるのだ。仕事であれば、「仕事人モード」(傍線ア)になるようにし、そうでなければ、常人モードになる。いや、それどころか、さらに慣れてくると、強いて切り替えることさえ必要なくなる。仕事になれば、おのずと仕事人モードになるのだ。このように雇い主と自分の利益のために要求される情動が何の強制も感じず、まったく自然なものになれば、そのような情動を抱くことが決して辛いことではなくなるだろう。

④段落。しかし、辛いことでなくなりさえすれば、それでよいのだろうか。感情労働で求められる情動がとくに苦痛を感じずに自然に抱けるようになれば、それで問題はなくなるのだろうか。そうではなく、たとえそうなったとしても、「そのような情動を抱くことには何か根本的な問題があるように思われる」(傍線イ)。感情労働において問題になるのは、たんにある種の情動を強いられるということではなく、強いられようと強いられまいと、そのような情動を抱くこと自体が問題なのではないだろうか。情動を強いられるということが問題の本質ではないことを、医師の感情労働にそくして見ておこう。
⑤段落。…接客業の従事者と同じく、医師も情動の管理を求められ、ときに不自然な情動を強いられる。今日では、医師の仕事もサービス業になったのである。
⑥段落。しかし、医師の仕事を本当に接客業と同じサービス業とみなしてよいだろうか。患者は客なのだろうか。医師の仕事と接客業のあいだには重要な違いがあるように思われる。たしかに医師にも、自然な感情を抑えて、求められる情動を示さなければならない場合がある。…しかし、それはたんに、そうしなければ、患者が自分のところに来なくなってしまって、収入の道を閉ざされるからではない。むしろ、病のために好きなお酒を制限しなくてはならない患者の苦境に深い共感を示すことが、患者を治療する医師にとってまさになすべきことだからである。ここでは、たとえ強いられたものであれ、共感を抱くことがまさになすべきことであり、それゆえ適切なことなのである。
⑦段落。そうだとすれば、無理やりではなく自然に共感を抱けるようになれば、もう何も言うことはないだろう。…自然に共感を抱くことができないというのは、医師としてまだ修行が足りない。立派な医師であれば、おのずと共感が湧いてくるはずだ。最初のうちは、おのずと湧き起こってくる怒りを抑えて、無理に共感を示さなければならなかったとしても、やがて自然に共感が湧いてくるようになれば、それですべてよしである。そのとき、医師はまさに自分が抱くべき共感を自然に抱いているのである。
⑧段落。それにたいして、接客業の場合には、不当な要求をしてくる客にたいして笑顔で応対するのは不適切である。…医師の場合には、理不尽な要求をする患者にも共感を抱くことが、状況に相応しい情動であった。しかし、接客業の場合には、理不尽な要求をする客に喜びを抱くことは、状況に相応しい情動でない。それは不適切な情動である。そのような不適切な情動を抱かなければならないからこそ、「接客業は感情労働なのである」(傍線ウ)。

〈設問解説〉
問一 (漢字)
A.尊敬 B.聖職者 C.真摯 D.丁寧 E.立派

問二「仕事人モード」(傍線ア)とあるが、それはどのような状態か、説明しなさい(30字以内)。

内容説明問題。傍線部前文「つまり、仕事かどうかで、切り替えができる」、前々文「…仕事であれば、とくに怒りを感じることもなく、笑顔を見せることができる」を参照する。また、前②段落、雇用者と従業員の利益につながるように情動の管理が求められる、という内容も踏まえる。
注意したいのは、傍線部を含む一文の次文以下「さらに慣れてくると…おのずと仕事人モードになる」の要素はアの説明として使ってはならないということだ。この「自然なモードの表出」はモードの洗練された形であり、モード一般の構成要件には入らないからだ。どこまでを解答の「範囲」とするか、しっかり意識することが重要である(初歩的な「範囲」見落としの誤謬→KY)。

〈GV解答例〉
仕事中は所属組織の利益となるよう情動を管理・表現できる状態。(30)

〈参考 S台解答例〉
利益を得るために職務上の必要に合わせて情動を統御する状態。(29)

〈参考 K塾解答例〉
利益に結びつく情動を、どんな客にもおのずと表出できる状態。(29)

〈参考 Yゼミ解答例〉
職業上の必要性によって、業務に適した情動を自然に抱く状態。(29)

問三「そのような情動を抱くことには何か根本的な問題があるように思われる。」(傍線イ)とあるが、「根本的な問題」とはどのようなことか。文章全体をふまえて答えなさい(30字以内)。

内容説明問題。「問題」という日本語は多義的であるから、整理をして問題(question)に挑む必要がある。といっても現代文で問題(issue)となる「問題」は、problem(解決されるべき困難な問題)か、issue(議論されるべき問題点)かのどちらかである。ここは、傍線部次文「感情労働において問題になるのは、たんにある種の情動を強いられるということではなく、強いられようと強いられまいと、そのような情動を抱くこと自体が問題なのではないだろうか」からも、issue の意味で使われていることが確認できる。
では、情動を抱くことについての根本的な問題(issue)とは何か。それは、「その情動が強制か否か」ということではなかった。設問条件の「文章全体をふまえて」がヒントになる。筆者は傍線部の後、医師の感情労働に即して情動を強いられることが問題の本質では「ない」ことを説明していくが、それは⑤〜⑧段落まで続き、最終⑨段落で医師と対比された「接客業」のケースに戻り、「接客業は感情労働なのである」(最終文)と結論する。これは裏を返せば、「医師は感情労働ではない」ということを示唆しているが、この両者を分けるものは何か、これこそが本問で求められる、情動を抱くことの根本的な問題(issue)であろう。
そこで両者を分けるポイントは、不当な要求をしてくる客に対して「共感を抱くこと」(「笑顔で応対する」 も含む)が医師においては適切な情動であるが(⑥)、接客業においては不適切な情動である(⑨)、という点である。この「適切/不適切」は、「状況に相応しい/相応しくない」(⑨)と対応する。解答は、傍線部に合わせて「強制を感じなくても/ある情動を抱くことが状況に適わないこと」とまとめた。

〈GV解答例〉
強制を感じなくても、ある情動を抱くことが状況に適わないこと。(30)

〈参考 S台解答例〉
状況に対して相応しくない情動をもつことが非人間的であること。(30)

〈参考 K塾解答例〉
労働において、その場の状況にふさわしくない情動を抱くこと。(29)

〈参考 Yゼミ解答例〉
本来持つべき情動に反した不適切な情動をもたざるをえない問題。(30)

問四「接客業は感情労働なのである。」(傍線ウ)とあるが、筆者は少し後の段落で、医師の仕事が感情労働ではないように、「接客業もまた、本来は感情労働ではないのである。」と述べている。なぜそのように言えるのか。文章全体およびこの後に予想される論理展開をふまえて説明しなさい(50字以内)。

理由説明問題。論理的な推論の妥当性を問う形式である。こうした形式は、難関大レベルの問題でたびたび遭遇するものであるが、従来の予備校流現代文指導法では十分に対応できていない。はっきり言えば、ほとんど的外れな「模範解答」が流通している。客観性の名のもとに本文の言葉を使うことに拘泥する指導方針では、推論の帰結を求める問いに対処できないばかりか、本文の言葉を継ぎ接ぎしたナンセンスな解答の量産を招くことにもなる。これが生徒にできる現実的な解答レベルだ、と自己弁護する声もよく聞くが、実のところ解答した講師本人が理解していないのではないかと思わざるをえない。事実、「論理的解答法」などを売りにしながら、知性の欠片も感じられない山師が跋扈しているのが、現代文界の現状なのである。こうした論理的な推論を必要とする問題は、共通テストの試行調査問題にも採用されている。いろいろ問題を含む共通テストへの移行であるが、従来のテクニカルな「解答法」らしきものを全否定するような作問姿勢が垣間見れる点は、大いに評価できる。
論理的な推論といっても、本文の記述がその拠点となることは当然のことである。ここでは前問での整理、すなはち「感情労働ではない医師」と「感情労働である接客業」を分けるポイントの整理が解答の足場になる。本問は、接客業が「本来は感情労働ではない」と言える根拠を示せばいいのだから、接客業が実は医師に共通し、どの点が共通するのかを挙げれば論理的に足りる。つまり、医師は患者に共感を抱くが、それは医師という仕事において適切な態度であった(よって、感情労働ではない)。ならば接客業においても、対応するその客を、医師が患者に接するように感情を持った一人の人間(人格/他者)とみなし、一見理不尽な要求に対しても共感を示してより良い方に導くことが、「接客」業の本来に相応しい情動だと言えるのではないか。以上の考察から、解答は「接客業も/医師と同じく他者を相手にする以上/それへの共感を抱くことが/本来性に適う情動だと言えるから」(→感情労働ではない)とした。

〈GV解答例〉
接客業も、医師と同じく他者を相手にする以上、それへの共感を抱くことが本来性に適う情動だと言えるから。(50)

〈参考 S台解答例〉
接客業も単に利益のためではなく、本来、客に対して自然な共感を抱くことが必要とされる職業であるから。(49)

〈参考 K塾解答例〉
接客業でも、客を利益につながる対象ではなく共感する相手だと思うなら、状況に相応しい情動が生じるから。(50)

〈参考 Yゼミ解答例〉
客をもてなすことを仕事とする接客業にとって、不当な要求にも笑顔で応じることは職務上適切な情動だから。(50)

#一橋大学 #国語 #信原幸弘 #情動の哲学入門

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