「 ボクと同じ遺伝子のキミへ 」
このnoteは世界の隅っこで生きているキミへ、
この世界に生きづらさを感じているキミへ
同じく生きづらさを抱えている私が書く記録です。
あの頃の私には、優しい世界なんてなかった。
はじめまして。こゆびちゃんです。
"ちゃん"までが名前です。笑
このnoteを目にしているキミはこゆびちゃんが何者なのかは大体知ってるかと思いつつも初投稿なので自己紹介を…
・OTONA CHILD. 総合プロデューサー
・アイドルプロデューサー
・コンカフェプロデューサー兼、経営者
・作曲家
・作詞家
・脚本家
・演出家
・カメラマン
・映像作家
・VJ
・デザイナー
プロデューサーって実際何してんの?の回答を思いつく限り羅列してみたのですが…
エンタメを通して、生きづらい人間に寄り添う「優しい世界」をつくるために必要なスキルを全部身につけようと生きてきたら現在の何でも屋スタイルになりました。
実際のところは、ただの社不です。
朝は起きれないし、すべてを忘れながら生きているし、自由奔放、気分はコロコロと変わり…
周りに迷惑をかけながら、たくさんの仲間に支えられてどうにか人間でいられるわけです。
先日、私がプロデュースしているNANIMONOというアイドルグループがTOKYO DOME CITY HALLにてワンマンライブを行ったのですが
色々な意味でこの日が自分にとってもOTONA CHILD.にとっても大きな節目になったと感じており
このタイミングで少し自分のことやOTONA CHILD.のことを話してみようかなと思いました。
以下、長くなりますがご容赦ください!
実はコロナ禍に突入する前、2019年まで私はバンドマンでした。
そもそも音楽の道に進んだのは、私自身が音楽に命を救われたから。
13歳、家族も富も夢もすべてを失って
唯一残った自分の命すらも破棄しようと考えていた時期に出会ったのがたまたま音楽でした。
「 私もいつか"救う側"になりたい。」
それが私がこの世界に見出した唯一の希望で、
生きる理由になりました。
それから遠回りしながらもどうにかやっとバンドを組んで、
生きづらい人間のための音楽をつくることに人生を捧げようと歩き始めたのですが、早々に挫折はやってくるのです…。
2020年1月。
世界中で未知のウイルスが蔓延したあの頃、バンド活動も制限され唯一の希望が奪われた私は再び生きる気力を完全に失ってしまいました。
無気力になっている私に「音楽をつくってよ」と音楽制作できる機会と環境を与えてくれた恩人がいて。
音楽を続けるならどんな形でも一緒にやるよ、と言ってくれるバンドメンバーがいて私の命は延命されました。
あれから紆余曲折あり…
2022年5月。
アイドルグループ「 NANIMONO 」の結成と同時にOTONA CHILD.(オトナチルドレン)を設立しました。
コロナ禍に突入してからOTONA CHILD.設立するまでの2年間にも色々な物語があったのですが、
その話はとても長くなりそうなのでいつかまた振り返ろうかな…。
話はNANIMONOに戻ります。
NANIMONOはOTONA CHILD.としてプロデュース&運営した第1弾のアイドルグループで、私が元々関わりのあった女の子7人を誘って結成したグループです。
・ケンタウロスの夜
・インキャミュージック
・JELLY FISH
・CHEWING GUM
上記の曲は今ではNANIMONOの楽曲なのですがコロナ禍に私が個人的に書き溜めていたもので、
この曲たちをメンバーに聴いてもらったのがはじまり。
NANIMONOというグループ名は実はミフユの何気ない発言「私って、なにもないんですよね」から閃いたものだったりします。
この情報は初出しなので本人も知らないと思う!笑
「なにもない」ってすごく現代っぽいなと思う。
なんでもあるようで、なんにもない。
知らないことも、検索したらすぐに答えが出てくる。
考えたり経験して失敗するよりも先に、答えがそこにある。
手に入る情報が多すぎて、自分が何をしたくて自分のアイデンティティーが何なのか、自分自身で見つけるのがすごく難しい時代だなって。
でも、それって希望でもあるなと思うんです。
何者でもない人間だけが、何者にでもなれる。
このメンバーだからこそ、そんな希望を届けられるかもしれないなって。
この時代だからこそ等身大の彼女たちの生き方は多くの人間に刺さるんじゃないか。確かな可能性を感じました。
そんな私のビジョンにメンバーや仲間たちが賭けてくれて、NANIMONOは始動できました。
と、ここまでアイドルの話を綴ったのですが…
私はアイドルが嫌いです。
女の子の人生の中の限りある時間を金銭や欲望のために切り売りしようとする大人たちも
アルバイト感覚で簡単にアイドルという肩書きを手に入れたエンタメへの情熱を全く感じないアーティストも
今でも大っ嫌いです。
そんな私が何故大嫌いなアイドルをプロデュースしようという気になったのかというと、
過去に沢山傷付いてきたこの子たちのために私がアイドル業界を変えたい。
という頼りない使命感と
アイドルという表現方法で届けられる思想や生き方があるはずだという希望をメンバーに見出したからです。
この7人と出会っていなかったら私はアイドルプロデュースをしていなかったって断言します、それくらいアイドルには幻滅していたし、バンドを愛していました。
NANIMONOと一緒に夢を追いかけていく道中で
新たに素敵な女の子たちとの出会いがあり、その度に新たな女の子の生き方を知り、
「AZATOY」と「hakanai」というグループをつくりました。
AZATOYとhakanaiにもたくさんの物語や想いがあるので、それはまた別の機会に話すね。
あんなに大嫌いだったアイドルを今では3グループもプロデュースしている、不思議な運命!
コロナ禍という不可抗力によって夢を失って、
コロナ禍があったから運命の乗り換えをしたんだ。
運命っていつだって意地悪で、憎くて愛しい!
最近になってやっと、私が創りたかった「優しい世界」を少しずつ形にできているのかなっていう手応えがあるんです。
さて、
NANIMONOが始動してから先日のTOKYO DOME CITY HALL公演で2年が経ちました。
そんな節目ともなる2周年のこの公演で私は賭けに出ました。
NANIMONOの根源となる物語をはじめて届けてみようと思ったのです。
そんな重要な日だったから、スカパーさんに協力していただき初の全国放送もしてもらえることにもなったし、とにかく今の私に出来ることはすべてやり尽くしました。
NANIMONOはこどもからおとなまで、幅広い世代に楽しんでもらいたいなと思っているのであえてIQを低く設定してコンテンツをお届けしているつもりなのですが、この日の公演はみなさんにどう受け取ってもらえているのだろうか…気になっていますよ。
実は、この日私の中での大きな挑戦をしました。
「未確認生物」という楽曲を初披露したんです。
このMVは私のバンドのMusic Videoです。
つまり、自分のバンドで過去に世に出した楽曲をNANIMONO Ver.としてリアレンジしてお届けました。
これは、NANIMONOにとっては賭けでした。
正直、変拍子だし、ヲタ芸をうてる隙もないし、歌詞も情報量が多くて…
アイドルファンに寄り添った楽曲とはとても言えない。笑
そんな、アイドルには難しい楽曲をこのタイミングで発表したのはNANIMONOの創造主である私がずっと音楽を通して発信したかったメッセージでもあり、NANIMONOが歌うことに意味のある楽曲だからです。
ここまで読んでくれたキミにだけ、この楽曲が生まれた経緯を明かそうと思うよ、
まだ未確認生物を知らない方のためにバンドVer.の歌詞を貼っておくね↓
私は繊細で複雑な脳のつくりをしているらしく、過去に精神科で色々な病名をつけられました。
要はこの社会に適応しづらい性質をもっていて、生きづらい側の人間だということ。
現代はSNSも普及して、当事者ではなくても色んな性質の人間がいるってことをやんわりと認知している方がほとんどなんじゃないかな。
薄々生きづらさや他者との違いは感じていたけれど、
改めて病名として告げられると私はめちゃくちゃ自己肯定感が下がりました。笑
悪い意味で自分は「特別」な人間なんだと。
長年コンプレックスを背負って生きてきたのですが、音楽活動を始めることで自分なんかよりもっとヤバい人間と沢山出会うことになります。笑
色んな人間を知っていく中で自分だけが特別なわけじゃなかったって知ったんですね。
そして私なりに、生きづらさとの向き合い方にひとつの答えを出したのが「未確認生物」という楽曲です。
"病気"って定義してしまうとまるで治さないといけないものみたいだけど…全然そんなことはなくて、これは血液型とか性格のような「アイデンティティー」だと思いたい。
そんなアイデンティティーに沢山の可能性を込めて「未確認生物」という名前のない名前をつけたいと思ってかいた曲です。
私だけの、キミだけの、アイデンティティーを肯定したかった。
これは、NANIMONOを創った理由とも通じています。
NANIMONOのメンバーと出会った当初、彼女たちは自己肯定感がめちゃくちゃ低いし、人との関わり方も不器用だし、
朝起きるとか、時間通りに集まるとか、そんな社会の定型に全くはまることのできない生きづらい側の人間の集まりでした。笑
私は、彼女たちのそんな生きづらさもアイデンティティーだと思うんです。
…とか言いつつも遅刻してきたら叱るけど。笑
「ボクと似た遺伝子のキミ」のことを理解して肯定できるのは彼女たちのような生きづらい側の人間だと思うんです。
だからこそ、NANIMONOをたくさんの方に届けられるこの日にどうしても未確認生物を届けたかった。
どう届くのか実験をしたかったんです。
正直、自分が歌っていた曲をプロデュースしているグループに歌ってもらうのってまぁ押し付けがましいよなって緊張もしたけど...
メンバーがこの楽曲に共感してくれたり、歌いたいって言ってくれたことが最大の後押しになりました。
「 ボクと似た遺伝子のキミへ 」向けたこの曲はどれくらい届いてゆくのだろう。
その結果はこれから先の未来で答え合わせできたらいいな。
これからも、NANIMONOの生き方が、AZATOYの生き方が、hakanaiの生き方が、私の生き方が
生きづらいキミの人生と共鳴することを願って音楽をつくり続けます。
以上、徒然と綴った乱筆乱文も本日はここまで。
ほぼ5000文字…!
高カロリーな長文お読みいただきありがとうございました。
最後の最後に私事ですが…
先ほどXで告知解禁した通り
今年の9月24日にこゆびちゃんとしてのライブをさせていただきます!バンド編成セルフカバーライブ!
この素敵なイラストはパップ86様が描いてくれました、天才だぁ👾
バンド形式で、こゆびちゃんとしてライブするのって実は初なんです。緊張〜
あの頃から変わらず同じメンバーと音を奏でられるって本当に嬉しいことなの、生きててよかった!
ギターの杉原亮とは今もほぼすべての楽曲を共作しているし、
ベースのゆあとはOTONA CHILD.を共同運営しているし
ドラムの大熊邦夫ことくまさんは、NANIMONOのKIRA KIRAという神曲をかいてくれたアーティストなんだよ。
この日は、私がNANIMONOやAZATOYやhakanaiにかいた楽曲たちを改めて私の歌としてセルフカバーという形でお届けしようかなって思ってます。
楽曲についても掘り下げたり、OTONA CHILD.を面白いと思ってくれていたり曲が好きって思ってくれているキミと楽曲の答え合わせをするような内容を予定してます。
昼帯に3グループのライブもあって、昼ライブ来てくれた方はなんと無料で見れます。2度お得!笑
夜はOTONA CHILD.をもっと掘ってみたくなった人向けです。
この日は終演後に物販にも立とうと思っているので、
普段なかなか直接話せないみなさんと色々な話が出来たら、交われたら嬉しいなと思っています。
お会いできるのを楽しみにしています。
こゆびちゃん