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ボージャックホースマン感想〜人は何故苦しくても生き続けるのか〜
ボージャックホースマンを完走した。
この記事は全話見た上での自分なりの感想なので勿論のこと多大なネタバレを含むし、布教用の宣伝記事ではない。
つまりは同じくボージャックホースマンを完走した人間に向ける独り言のようなものなので、まだ作品を見終わっていない人間はこの記事を閉じてNetflixを開こう。
もう一度言うが物語の根幹に関わるネタバレが頻繁にでてくる。
全話見終わった感想としては
本当に最初から最後まで救いがないしめちゃくちゃにしんどい。
イヤ本当にしんどいのだ。
◆楽しくないのに面白い地獄のしんどさ
アニメ作品に対してしんどいと言えばよく聞く言葉だろうし、登場人物がよく死ぬバトル漫画だとか主人公が葛藤したりする漫画作品でよく使われる表現なのだが、正直そういう作品のファンはそのしんどさも含めて楽しんでいると思う。自分もそうだ。
ああしんどい!どうなる!この後どうなるんだ!?という緊張と不安を楽しんでいる節がある。しんどい!尊い!みたいな。
しかしボージャックホースマンのしんどさに関しては全く楽しくない。イヤ本当に。
にがすぎる。しぶい。つらい。
全く楽しくないしんどさだ。
誰もが人間関係や人生の中で犯しかねない過ちだとか、過去の過ちが今の自分のようやく掴みかけた幸せを蝕むだとかとにかくそのしんどさがリアルすぎて気分が悪くなる。
それでも目を離さずにはいられない。
ボージャックがどうなってしまうのか、その結末を。
気づけば6シーズンも見守っている。
ボージャックホースマンは
『楽しくはないが面白いアニメ』
というかなり異色の作品なのだ
本当に救われない。
これがこの作品にリアリティを与え傑作としている要素なのだが、何も人生というものは劇的なものではない。ただただ淡々と喪失と創傷と再起を繰り返す。
この物語の中で何度も何度もボージャックは幸せを掴もうと足掻き続けるが結局は自分が原因で全て台無しにする。
それの繰り返しだ。
もうこれ以上のことがあるのかよってくらいの悲劇が何度も彼にふりかかる。
そう、人生にどん底なんて無い。
いくらでも沈んでいくのが人生だ。
人生にゲームオーバーなどない。
本人の意思に関わらず永遠にコンティニューされ続ける。
人生は喪失の連続だ。その喪失に項垂れたままでは最期には何も残らないだろう。
だからこそ我々は生きている限り足掻き続け、絶え間ない喪失に抗うべく新しく何かを得るのだ。
それが耐え難い苦しみだとしても。
幸せになれるかわからなくても。
◆ボージャックホースマンにおける死
このボージャックホースマンという作品のリアルさを際立てたのが劇中で彼が出演した馬か騒ぎのラストだろう。
馬か騒ぎではラストでボージャック演じる馬が死んで終わる。そう、物語だからだ。
作中でフィクションだからだ。
物語ではしばしば大きなイベントとして人の死を扱う。死は人の生をより尊いものに見せかける事ができるからだ。
ボージャックも最終話付近で死にかけた、が、死ななかった。
これが『馬か騒ぎ』とは違い『ボージャックホースマン』がリアルである事を突きつけてくる。
ボージャックは死によって救われる事も、また死ぬ事によって劇的に人生を閉じる事も美談になる事もできなかった。
彼の人生は彩られる事なくこれからも続く。
ボージャックホースマンでは人の死は特別なものではない。非常にシビアなものだ。
アダルト向けカートゥーンにありがちな頻繁に人が死ぬ事も(マーゴ・マーチンデールの凶行を除けば)無い。
(話がズレてしまうがこの作品の登場人物は人格破綻者はそこそこいてもカートゥーンにありがちなとんでもなく非常識な行動をする人物は少なく、あくまで実際にありえるような行動しかしないが実在の人物であるマーゴ・マーチンデールがそれこそアダルトカートゥーンの様な現実離れした凶行に走るのは面白い。)
旧友ハーブの死だって、ボージャックの母親も、サラリンですら死の瞬間の直接的描写は無い。死に顔すらもない。
他のアニメや漫画では登場人物の死は物語の流れを大きく変えたり主人公を成長させたりするがこのボージャックホースマンに関してはそういう事は一切無い。
ボージャックは彼らの死をすんなりと受け入れるし物語を大きく変える事もない。
例外としてはサラリンだが、彼女の死というよりもボージャックの犯した過ちとして後に彼に災難としてふりかかる。
仲違いした友人とは仲違いしたまま、しかも闘病の末の死ではなくあっさりとした死に方をし、恨み続けた母にありったけの罵詈雑言をぶつける事もなく、更には和解することすらなく気づいたら死んでいる。
その味気ない死があまりにもリアルだ。
◆ボージャックという男
作品全体を振り返ればボージャックは心に穴の空いた哀れな男で、自滅願望の塊の様な男で、自分を愛せない事を嘆き、溺れる様に足掻き続ける愚かな男ではあるが、彼は作中で自死を自分の意思で決行しようとした事は無かった。
自身のヒーローであるセクレタリアトが自死によって人生の幕を閉じたからだろうか?
絶え間ない喪失に苦しみつつも決して死を選ぶ事をせず、不格好でも足掻き続けた彼は最高にカッコいいと思う。
不細工にでも生き続け、人生の苦難に抗い続ける事こそが何よりも尊い。
どうあっても生きようと足掻く彼の姿は生きる事への肯定と歪ながらも人間賛歌そのものである。
セクレタリアトが彼にとってのヒーローであった様にボージャックホースマン、彼は私のヒーローなのだ。
彼らの人生をこれ以上追えない事に寂しさを感じる。彼らは幸せになれるのだろうか?
幸せになれなくとも生き続けるのだろう。
私も彼等のように幸せを掴むために命ある限り足掻き続けようと思う。
ボージャックホースマン。
ひたすら陰鬱で苦く渋くしんどいにも関わらず見終われば不思議と生きようと思える、項垂れたまま前に進ませるような、傑作カートゥーンアニメだった。
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