ワイキキから帰る
ワイキキには言ってないんですけど。行こうとする脚本に出演してました。
ご来場いただいた皆様ありがとうございます。
公演が終われば平和な日常に。
なんて思ってたものの、そうは問屋がおろさない。珍しく受けるオーディションに備えるとか、今勤めてるところが創立◯周年(興味なさ過ぎて覚えてない)でバッタバタのエトセトラ
noteを書こうとして……書くネタもそれなりにあれども書けずにいた。書く暇というか、文章を考えたり構成を練る余裕がなかった、自分のキャパのなさよ……ぬぬん。
BOYCOTTは二度目でした。
出演については途中参戦なのですが、なしてこうなったのか。それは主催と自分と制作陣のみぞ知る秘密の花園です。急ピッチでの参戦に、創作。個人的にやり取りした知人さんからは「最初から出ること決まってないと、あの演技できなくないっすか?」だとかで、すこし嬉しい。
見られた方は興味深くあり、難解だったとのようで……僕からはあらすじの通りで、Twitterでも呟いてた通り都市伝説とかの寓話が、催眠や暗示で見方を変えると可視化されるかもねって話だったのかなぁ、と。もちろん、それが全てではないですし、観られた方が好きに考えて妄想に耽ればそれがそれぞれ一つの答えで良いのではないかと、ざっくばらんで非常に恐縮なんですけども。
演じることになった庄能って結局なにかと言われると……出番の少なさからも分かるようにアンサンブル的な位置で、幽霊とかもいるかもしれない世界を一端を示す一般人なのだろうと思ってます。
才内は妄想を通じて目に映る世界が目まぐるしく変わり、藪入は人を使い目に見えない何かの存在証明をしてみようと思ったら予想を超えて立体化しよったと驚く。そことは別に幽霊は幽霊のままに不可視の存在と対話して、野郎二人の物語を間接的に収束させた人。
こういった不可視のナニカっているのかどうか。
非科学的だ、ありえない。説明がつかないから目を瞑ろう。いないんだとズバリ否定して切り捨てるのはすぐに出来ること。が、それもあると信じてみる。恐れたりもするけど対話を試みようとしてみたりすることってすごく面白いことだと思います。
僕は否定したいけども、説明のつかない動画とかが溢れてて、怖がるコメントがついてて、ビビってる人です。いるはずがないと否定しようとして、逆説的に肯定してるやつですね。怖いの無理。
あり得ないものを作ると信じてみればファンタジーな作品になるんですけど、あるものとして見れば……演出の坂口氏は電波や電気的なので置き換えて、存在するものとして見てた、彼が見てる感覚からすればストレートプレイの会話劇とも取れるのだと思います。
そうそう、映像配信もするんです。
制作陣営はあまり造詣が深くないので手探りで、いろいろ比較してはウンウン唸ってます。
詳細はBOYCOTTのアカウントがnoteにあるんで、そちらならどぞ