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コウジさんのこと

4人目、折り返しです。
11月が終わってしまいました。稽古は本番までもう間もなく、こちらはからっきし……間に合わなーい(酷
いや、趣味なんで、趣味の中の趣味なんで。僕は今日も言い訳を重ねている。

もはや、写真も面倒くさい。
写真つきで構成を考えた記事は相当労力なのかもしれない。撮るのが面倒くさい。撮ってないから手を抜くのではなく、こちらはスタンダートということで……ごめん、コウジ・フジムラ。

藤村弘二の話です。
京都で演劇をする二個下の彼。「虹色結社」なる団体を運営していたり、「劇団しようよ」に所属していたとか……キーワードだけ。僕はまだ彼をしらない。何故なら出会ってから一年半程だから。
去年上演した「夜明け前にコーヒーを飲むな、~濃縮~」では義雄というメインどころを依頼したのは本番1ヶ月前のこと。本人曰く「本が書き上がって、脇の人らがー……は分かるけど、冒頭にいてラストにいなくなってくメインがいないのは衝撃ですよ」とのこと。
名前は知っていてた。坂口弘樹氏が知り合いで相談してみたら繋いでくれて快諾してくれたいい思い出。彼は当時太宰治の本で一人芝居をやっていて折込がてら挨拶をする。邪魔をしてはならんと折込のチラシ束を預けて会釈して「お疲れ様です」だけ声かけて去ったら、後日挨拶をすべく気張っていたと失笑された。いい奴だ、となんとなく思った。

現在は「ミヤコから遠く離れて、みる」でバチバチの主役である芦屋コウジ役を演じてもらっている。名前が一致したのは偶然の産物である。
うだつの上がらない平凡な高校生で、特筆した事といえば「よく考える、考えすぎる」というところ。ビビリとかではない。周囲の役が考えてすぐ実行する面々と比べたら、まぁ埋もれる。脇役っぽいかもしれない。
修学旅行の班長である。動物園よろしくな自由人の集まる班を取り仕切る人であり、手綱を握れているのか……力負けをして引きずり回される。
彼を通じてなにを書きたいのかと言えば、様々な欲求や衝動に振り回される人間の理性の部分。わかりやすく言えば面白ければなんでも許されるわけではなく、法律は守らなくちゃいけない。人として譲っちゃいけない道だけは決して譲らない。誰かを弄るにも、いじられる当人が許せるうちはいいけど、その限界を超えそうなときには「そこは超えちゃいけないから、やめようよ」と。人によっては後出しする奴、空気を読まない奴、綺麗事を抜かすばかりのなにも出来ない奴と映るかもしれない。
でも、それが今の世の中の状況下には必要であり、描いて、今回は上演を行う。「ミヤコから遠く離れて、みる」来週末です、よろしく。

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なんで、このコウジをコウジさんが演じるのか(ややこしい)
あまり私、私!という感じをしないからだろう。華があるのか……少なくとも僕よりかは身体鍛えてるし、細々としたことをなんでもやってくれる。自分のためより、人のため、作品のために動いて考えられる素敵なところだろうと思う。まぁ見方によっては影の薄い奴な印象をもたれるかもしれない。
ただ、縁の下の力持ちポジションを必要に応じて立候補して、実行できる人間っていうのは、これが知人にはなかなか少ない。今回はそういうことの出来る人の集まりとなってるわけですが、そういう細かいものの舵取りや進行を適切に進めてくれる人、それが彼の面白さであり、演じてもらうようにした理由だったり……
あと、お互いオタク趣味だから読んでいるのもある(縁故採用です)
ジャンプの「僕のヒーローアカデミア」について造詣が深い。彼ほどではないが、自分も好きで読んでいる。その他は思春期に齧っていたアニメ・漫画に共通点があり、作品の人物イメージを共有する際にはそこから引っ張り出してきてみたり、酒を飲みながら……おっさんだ。

そんな彼がワッと話を大きく進めるわけでもなく、無常にも進んでいく時間の中で一秒一秒「なにをすべきか」「どうしていくべきか」を考えつづけ、ときどき(あ、今日はもう駄目だ、休もう)と気張らない選択をしたり、大きな揉め事に対しては、加害者に見える人間をただ悪と断言せずに言葉を交わそうとする延々と考える姿をお楽しみください。
「人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦に過ぎない、。しかしそれは考える葦である」なんてパスカルの残した言葉ですけど、役名の芦屋はそこをベースにしていたりもします。シンプルに葦の花言葉から役の物語を引っ張ってきていたり……この辺は作品に向けて読んでもなんのこっちゃねん、というわけで観た上で調べてもらうのも面白いかもしれない。

「コウジ」のことでした

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ピンク地底人5号
生きる糧となります。喫茶のお茶代……ひいてはアレです、執筆のために頂戴いたします。つまり、ふへへへカフェインだ