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役者さんらが組み上げる

出会った頃よりも生活状況が変わりに変わった都合もあり、なかなかスケジュールが噛み合わない。
珍しくそういう現状な一人が1日休みで、他が都合つくならと7時間程の稽古でした。
雨とかで涼しくなったと思ったらそんなことない、なんだこの暑さは……コーヒーが足りない。

全員とは行かなくとも8人で集まり広めの部屋での稽古をしました。本を書き上げて、だいぶ経つ。稽古時間を多くは取れないがゆるゆる構えてたら時間はいくらあっても足りないので、作り始めて段取り組んだところは長回しをしていく。
所謂、物語の起承転結の転部分も手を加える。各俳優の2〜3人による絞り込んだ重めの佳境は触り始めてはいたので後半戦を。
冒頭から中盤で紹介したり広げた物語をどこに収束させるか。着地地点はどこなのか、そんな話し合い。
今回書いた「ちいさな沼のほとりで」は社会的弱者……昔描いた夢を追い切れなかったり、取り巻く環境に甘んじて気付いたら良くない方へ良くない方へと転がり落ちてしまった。時には法的にアウトなんだけど、警察とかも手の回らないような小さな悪いことに手を染めざるを得ないような人たちを描く。
こういう生き方をするのをダメと告発するのではなく、かと言って変に美化もせず。いるよね、と明確に認識してもらう。或いはそういう生きてく上での、人が人である故に抗えない欲求と捨てることも出来ない生活を天秤に掛けて、追い込まれながらも時に利用しあって生きようとする様子を淡々と。
関係者各人の持つ美意識や倫理観を明示し、どこまで見せるかどう見せるか。どうしたら生々しく現実っぽく見えるか、やり過ぎて傷つく人がいないか。脚本を書いて、演出の指揮を取る自分が方針定めて「えぇから、面白い作品見せるためにヤレ」ではなく、話し合いながら作っています。

いつになく稽古日数や時間は限られてるのですが、焦ってナリでやらずに。意思確認や認識のズレ、演じさせられることで生まれる快や不快も面倒だけど、誰かが変に組織のために声を押し殺すことのないように稽古する。
すり合わせるには勿論、作品の内外問わずに喋って交流して……少なからずのまどろっこしさもあるが、そのおかげで自分の拙くて品のない語彙がうまく受け止められない人は、他が(要さんや徳丸さん)が通訳や代弁してくれる。冴さんや坂口氏が別視点で率直に感想述べてくれるので、引こうとしている線が真っ直ぐか歪んでるか、狙いからズレてないかを確認して少ない返しでも手堅く稽古が前進する。
円滑に回るコミュニケーションの楽しさを再確認する。

おかげで清濁併せ呑む物語が、変に言い訳して繕うわけでもなく、妙に美化されたピカレスクロマンじみたものにもならずに済んでる。
今作では、世代は離れて直で絡んだことはないが同じ大学で同じ劇部に所属していた後輩のそふぃさんが演じる、仕事に疲れて地元へ逃げ帰ってきてしまった『ユキエ』がなんで現実から目を背けてしまい、都合よくいた近くの男『シジマ』(自分が演じる予定)に甘えたのか。
一般的に教えられる「ダメ」とされる生き方を、ダメと知りながらどうして落ちてしまったのか。
戯曲上では、その流れがあるだけでセリフや段取りに明示されないことを、なんでかわからんけどそうなってしまった。では、なんでそうなるように流れになってしまったか。
役(作品)の流れを、役を振られた俳優個人が自分の仕事・責だからと背負い込むのではなく、みんなで持ちつ持たれつ作る。
勿論、本を読んで役を考えても躓く人はいる。でも、他の人が自分なりに「こうでは?」と解釈を共にすることで、書き手がワガママで貫くのではなく、みんなでやろうと決めて、みんなで読み解き合う。責任の所在をあやふやにしたくて誤魔化すために物事を取り決めるのではなく、他人の作業を他人事ではなく自分も関わり自分も影響を受けるからお互いに確認しあう。そんな風に進んでます。

面白いのだろうか?ふと思う。僕は面白い。他の出演者たちはどうだろうか?
どっかの街の片隅で起きてる矮小な人間たちの、些末な……どこにでもありそうな物語。明確な終着点がなくて悩むけど、悲喜劇を用いても解決できないことも多くてそれに直面したら、人は逃げることもあれば折れることもある。誰でもいいちょっとした人の温もりに逃げたい気持ちがあっても仕方ないのではないか。その弱さで惰性に甘んじてしまうのも人間くさくて面白い。「オチがつけられないから面白いと思うんだよね」と要さんに推された。それを分からん、嫌だと首を傾げる人もいなかった。
良いか悪いかはさておき僕はホッと安心した。
書きたかった人間関係の面白さが伝わっていたようです(つまり面白いもんが書けたということだ)

書く順番が整理し切れずゴッチャになり読みづらいのかもしれないが、戯曲名の「ほとり」は漢字表記するも『畔/辺』(ほとり。水際/側近のもの)であり、『熱り』(ほとり……火照り(ほてり))とかを掛けていたりする。
複数の意味を持たせてる。どれが適切かは観た人や読んでる人らが決めたら良いのではなかろうか。考えて決めてるが、ゴロが悪くピンと来づらいタイトルだとは思ってる。
※面倒だからもう弄らない予定通り

ボチボチ、Twitterの団体アカウントから公演概要を再発信します。
作品もですけど、クセの強いピーキーな20代前半とアラサーたちが、他愛もない日常から紡がれる平凡な日常の会話劇(クラシックなストレートプレイ)に挑もうとする企画の「家出記念日」をよろしくお願いいたします。

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ピンク地底人5号
生きる糧となります。喫茶のお茶代……ひいてはアレです、執筆のために頂戴いたします。つまり、ふへへへカフェインだ