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ジリジリと肌を焼かれて、大変息苦しい地獄の8丁目を彷徨う日々に、さまよえるオランダ人ってこういうとかボンヤリ考えるけど、いや違うよなとも分かってます。ピンク地底人5号です。

雨が降ったり、降らない日には燦々と日差しが差して汗が噴き出る。全身が湿る不快感に滴る額、日陰はどこなのか……風はいつ吹くのか。まさに生き地獄、早く夏が去ってくれないものか。

下は学生上がり立てのピチピチな後輩さんから始まり、果ては50代のお歴々の先輩らと共に
「うるしの沼」
絶賛稽古中です。

金曜日回はありがたいことに売り切れです。土日はお席があります、是非ご覧ください。
予約はこちらへ →予約フォーム(シバイエンジン)

チラシに載せてるあらすじというかキャッチだけだとイマイチ内容分からないですよね。表面の文章は今回なかたあかねさんが演じてくださる「ユキエ」が仕事から逃げてきて、地元へと戻ってくることから始まります。
仕事に行く前にユキエは地元からも、友達(演:坂口望美)と訳あって逃げています。
戻らざるを得なくなった地元での事情に、ユキエは友達と向き合わなくてはならないのですが、友達の家は訪れてみると喫茶店に姿を変えていました。
友達の影を追うとともに、喫茶での交流をし、人間関係に向き合ったり、壊したり、新たに作ったりする様を描く喫茶店が舞台の演劇作品です。

俳優に稽古させながら、ブログ書かせてるのに、5号さん書かへんの?とありもしない重圧に追い込まれて筆不精、言葉不足のワタクシ、ピンク地底人5号……リハビリ?がてら書いてます。

ヘッダーは会場入って突き当たりの壁。客席背後に用意された、つまり背面の美術……というか空間です。
メインの舞台はどないな感じやねん?
フミヤという喫茶のバイト役を演じる山田くんが書いた記事を見なさいよ(こちらからどうぞ)
客席正面にカウンターを使った舞台があって、背面にも演じられる場所があり、とどのつまりはサンドイッチにするかのような舞台というか空間演出をしています。

箸休めに、本作のキーマンならぬキーウーマンの坂口望美さんです。ふと時間余った時に、鴨川の下の方で時間潰してたら突然「賽の河原の石積み」をしたくなりとのことで、いい感じの小石を探している様子です。かわいくないですか?

なんで喫茶店の舞台を作ってるのか。
えぇ、ワタクシごとですがコーヒーが好き、喫茶店が好きなのです。脚本を書くときは喫茶店でコーヒー啜って、タバコを片手に、原稿用紙へ万年筆を滑らせる。それが脚本家のあるべき姿でロマンチシズムを感じられずにはいられない。やってみよう。本が書けた。
「うるしの沼」
脱稿してる、すごい……あ、脱線した。

なんとなく見ず知らずの人が集まるなり遭遇して、会話をする場面ってのを考えるとだいたい喫茶という背景に落ち着きます。仕事や学校、自宅……etcでは見ず知らずの人の交流を追求すると、なにかしらさらにシチュエーションを付加せねばそうはならない。いや、待てバーとかもワンチャンあるかもしれない……まぁ今回は喫茶です。
喫茶店というものの歴史を追うと1600年代の欧米では文化の交流の場であったとか。日本の喫茶店のはじまりはもっと歴史は浅くなるのですけど……なんとなくテレビやアニメ。漫画などで腰を落ち着けて一定の距離で喋る場面だと喫茶なわけですが、あぁ歴史はあるわけですね。
で、喫茶での会話劇が好きだなぁ、と。
喫茶が舞台ですと売り文句の公演を見に行けば建て込んだ具象舞台の作品を大学時代に観たことあるのですが、この舞台も終わったら取り壊されるのよな。片付けたら産廃なのよなぁとか、酷くズレたどうでも良いこと考えてました。では、喫茶店の構えをしてるところで喫茶の舞台やれば立て込む労力を削れて、撤収も持ち込んだ小物やら衣装で済むのではないか?元ある空間を活用となると、劇場で用いられる照明や音響効果を持ち込むのでは空間へのリスペクトが足りないんじゃないかな、とかこれまた謎の思考から結果、2013年にふ純喫茶を始めました。
一番最初の頃は自分が活動するために劇作の練習しつつ、スタッフ専門だけど俳優させたら面白いんじゃないかって学生劇団の先輩・後輩とかとっ捕まえたり。お世話になった先輩俳優と共演する機会がないのなら、自分で用意したら良いのではとかって単純な欲望でやってました。私情をコンセプトに企画を立ち上げる。自分自身がテレビっ子で90年代00年代のバラエティ番組(とんねるずとか、笑う犬の冒険とか)よく見てて、今でこそ品がないだの、ジェンダーがどうたらこうたらとか言われるような猥雑な笑いが好きで、そういうのも作中に描くから……ふ純喫茶にしようと。漢字で不純喫茶だとちょっとホントそれはアダルトなムードが匂ってくるし、そこまで踏み込めない純情さアピールで平仮名にしてます。
ゴロが微妙かもなーとか思ってたら、やり続けてけば馴染むもんですね。芝居をしたいぜ、劇団の伝はないけど俳優個人の伝はある。なんかしようぜーと集まってみて、企画名考えるの面倒だしまぁ「ふ純喫茶」にしとくかって雑過ぎるノリのこともあります。

文字数考えてなかった。
文章の暴力になってないだろうか、不安

閑話休題、ご覧ください。
仕事の帰りにいつか見た路上に落ちてた大根のAパーツです。Bパーツどこよ。昔のガンダムの食玩ですかね(分かりづらいかもしれない)

ふ純喫茶で……ワタクシ5号が筆を取るとどんな作品を上演するかについて。
上演尺の7〜8割が日常の脚本です。所謂、ドラマが分かりやすく動くのは1割とか。あと、つなぎ。
書いてる側としては技術に振り切らないよう、かと言って衝動だけに振り切らないようにと、ちまちま書いては消して書いては消して……俳優さんらに読んでもらうと「なんやねん草」と笑われることあれば、「え、なにダラダラ話してんの、無駄ばっかやん」と辛辣に評されることもままあります。
ドラマ……と言って観る側が期待するのは誰かとの「出会い」「離別」、恋物語なら「告白」「破局」とかの大きな人生の岐路だと思います。
そういうのも好きは好きですけどそれ以上にどこにでもありそうな他愛もないやり取りで「おはよう」「よぅ」とか、予想外のことに直面して思考が停止して抵抗するような「え」とか。そういうのも立派なドラマだと考えていて……その背景を紐解き演じてもらうために台詞をあれやこれや書いてます。

稽古は面白いです。
人の数だけ読み方があるので、ドラマの構成をどう積み上げてくか思考し演技を試す人がいます。一方で、自分が好むややこしい言葉遊びの中で、作中の人物の核や転換はこの一言よね、このト書では?と自分でも別作業とかで埋もれて忘れかけた衝動の部分を、演じながら理解する人もいます。
いつか、出演いただいた女優さんに谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」を齧ってるようと言われたことがありました。
自分の弱いところや心は、他人であればあるほどに見せることはないです。他人同士の交流の中で、言葉を通じてふと無意識に溢れる弱さを描く。
そのための喫茶演劇です。

ふ純喫茶です。
「うるしの沼」
詳細はチラシの画像とかご覧ください。

締まりの悪いゆるいトーンの男たちに、敢然と立ち向かう女子の図。怪人サイコパスこと山田くんとヘッピリ腰ヒロイン浅野さんです。
どこの場面なのかは、是非ご覧ください。

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ピンク地底人5号
生きる糧となります。喫茶のお茶代……ひいてはアレです、執筆のために頂戴いたします。つまり、ふへへへカフェインだ