「黄金の幻想:エル・ドラードを追い求めた冒険者たち」
南米アンデス地方に古くから伝わる黄金都市の伝説、エル・ドラード。それは、黄金に彩られた理想郷として、大航海時代を生きたヨーロッパの人々の心を強く捉えました。未知なる世界への冒険と、富と栄光への渇望が入り混じり、多くの探検家たちがエル・ドラードの謎を解き明かそうと、危険な旅へと身を投じていきました。
彼らの情熱と執念は、やがて南米大陸の奥深くへと至る新たな航路を開拓し、未知なる文化との出会いを生み出す原動力となりました。しかし、その一方で、侵略と征服、そして悲劇を生み出したのもまた事実です。
ここでは、エル・ドラード伝説がどのように生まれ、そしてどのように人々を魅了し、突き動かしていったのか、その歴史を時系列で紐解きながら、そこに翻弄された冒険者たちのドラマを追いかけていきましょう。
1. エル・ドラード伝説の誕生
16世紀初頭:
エル・ドラード伝説の起源は、アンデス地方に栄えたムイスカ文化における黄金の儀式に遡るとされています。この儀式では、新たに族長となった者が全身に金粉を塗り、聖なる湖、グアタビータ湖の中心へと筏で進み、黄金や宝石などの貴重な奉納品を湖の神に捧げました。太陽の化身と崇められた族長の輝きと、湖面にきらめく黄金の輝きは、人々の間で語り継がれ、やがて「黄金に輝く都市」という伝説へと発展していったと考えられています。
2. 黄金郷を求めて:スペイン人の到来
1511年:
パナマに到達したスペイン人の征服者たちは、先住民から「南の地に黄金で溢れる帝国が存在する」という噂を耳にします。食器さえも黄金で作られているというのです。この話はたちまち彼らの間で広まり、エル・ドラード伝説として語り継がれるようになりました。
1513年:
パナマ騎兵隊長のバスコ・ヌーニェス・デ・バルボアは、先住民の案内でパナマ地峡を横断し、「南の海」(太平洋)に到達した最初のヨーロッパ人となりました。この時、バルボアは先住民から「ビルー」と呼ばれる川の近くに豊かな黄金の国があるという情報を聞き出します。この「ビルー」は、後に「ペルー」と呼ばれるようになり、エル・ドラード探検の舞台となっていきます。
1524年:
フランシスコ・ピサロは、エル・ドラード発見を目指し、パナマ司祭からの資金援助を受けて最初の探検に出発します。彼はコロンビアの海岸線沿いに南下し、黄金の装飾品を身に着けた先住民と遭遇するなど、エル・ドラードの存在を確信させる出来事を経験します。しかし、過酷な航海と食糧不足、そして隊員の反乱により、ピサロはエル・ドラード発見を諦めざるを得ませんでした。
1526年~1527年:
再び探検の旅に出たピサロは、ついに運命の出会いを果たします。彼の部下であったバルトロメ・ルイスが、エクアドル沿岸で豪華な装飾品を身につけた先住民と接触し、彼らの国こそが黄金に満ち溢れた帝国であるという情報を得たのです。ルイスはピサロのもとへ戻り、この情報を伝えました。ピサロはすぐさま12人の精鋭と共に南下し、ついにインカ帝国へと到達します。しかし、彼らがそこで目にしたのは、想像をはるかに超えた巨大な文明と、その中心で絶対的な権力を誇うインカ皇帝の姿でした。
1532年:
ピサロは、策略を用いてインカ皇帝アタワルパを捕らえ、莫大な量の黄金を要求します。アタワルパは要求に応じ、身代金として部屋いっぱいの黄金を提供しますが、ピサロは約束を破り、アタワルパを処刑してしまいます。この事件は、インカ帝国滅亡の決定的な転換点となりました。
3. エル・ドラードを求めて:熱帯雨林の奥深くへ
1541年:
フランシスコ・ピサロの異母弟であるゴンサロ・ピサロは、兄とは異なる形でエル・ドラード伝説に挑みます。彼は、アンデス山脈を越えて広大なアマゾン盆地にエル・ドラードが存在すると信じ、200人以上の兵士を引き連れて探検隊を組織しました。しかし、過酷なジャングル環境と、先住民との激しい戦闘により、探検隊は疲弊していきます。結局、ゴンサロはエル・ドラードを発見することはできず、失意のうちにキトへと戻りました。
1545年:
ゴンサロ・ピサロの副官であったフランシスコ・デ・オレリャーナは、私財を投じてエル・ドラード探検隊を結成します。彼はアマゾン川を下ることで、より容易にエル・ドラードに到達できると考えました。しかし、この探検もまた困難を極めるものとなります。病気、飢餓、そして先住民の襲撃により、探検隊は壊滅寸前に追い込まれます。オレリャーナ自身も、探検中に命を落としてしまいました。皮肉なことに、彼が探検したアマゾン川は、後に「アマゾン川の王」と謳われた彼の功績を讃え、「アマゾン川」と呼ばれることになります。
1561年:
スペインの征服者ロペ・デ・アギーレもまた、エル・ドラードを求めてアマゾンを探検しますが、成果を上げることができませんでした。彼は、過酷なアマゾンのジャングルを目の前にし、「あの川には絶望しかない」という言葉を残したと伝えられています。
1617年:
イギリスの探検家ウォルター・ローリーは、スペインの許可を得ずにエル・ドラード探検を試みます。しかし、彼はスペインの入植地を攻撃した罪で捕らえられ、1618年にイングランドで処刑されました。
4. エル・ドラード伝説の終焉、そして新たな探求へ
1801年:
ドイツの博物学者アレクサンダー・フォン・フンボルトは、南米大陸を横断する大規模な探検を行い、その膨大な量の地理学、植物学、動物学に関するデータと詳細な記録を残しました。彼は、科学的な視点からエル・ドラード伝説を否定し、その存在はあくまでも伝説であると結論付けました。
1906年:
イギリスの探検家パーシー・ハリソン・フォーセットは、アマゾン地域の測量任務中にエル・ドラードの噂を耳にします。彼は、古代文明の遺跡がアマゾンの奥地に存在すると信じ、その探求に生涯を捧げることになります。
1925年:
フォーセットは、幻の黄金都市「Z」を発見するために、再びアマゾンへと向かいますが、消息不明となります。彼の失踪は、多くの人々に衝撃を与え、現在に至るまで様々な憶測を呼んでいます。
エル・ドラードは、結局のところ実在する都市ではありませんでした。しかし、その黄金に彩られた伝説は、人々の探求心と想像力を刺激し、新たな発見と冒険の舞台となったのです。エル・ドラードを求めた冒険者たちの足跡は、地図上に新たな航路を刻むだけでなく、私たちに夢とロマン、そして未知なる世界への憧憬を語りかけてくれます。