死のホテル、セシル:連続殺人犯たちの隠れ家と未解決の悲劇
序章:ロサンゼルスの闇に佇むセシルホテル
ロサンゼルスの中心部、スキッドロウ地区に位置するセシルホテルは、1924年に開業した。しかし、その華やかな外観とは裏腹に、セシルホテルには長い間、暗い影が付きまとっている。ホテルの名は「死のホテル」として広まり、数々の悲劇や怪奇現象が繰り返されてきた。とりわけ、2013年に起こったエリサ・ラム事件は、セシルホテルの不気味さを世界中に知らしめるきっかけとなった。
セシルホテルの暗い歴史
セシルホテルは、開業当初から数多くの異常事件に見舞われてきた。これには、連続殺人犯の宿泊、自殺、謎の死が含まれており、その数は驚くべきものだ。
1. 連続殺人犯の宿泊
セシルホテルが「死のホテル」として悪名を広めた理由の一つに、宿泊者として名を連ねた悪名高い連続殺人犯たちの存在がある。その中でも特に恐ろしいのが「ナイトストーカー」として知られるリチャード・ラミレズと、オーストリア出身のジャック・ウンターベガーである。
1. リチャード・ラミレズ:悪夢のナイトストーカー
リチャード・ラミレズは、1984年から1985年にかけてロサンゼルスを恐怖に陥れた連続殺人犯だ。彼は深夜から早朝にかけての時間帯に住宅に侵入し、無防備な被害者たちを襲撃したことから「ナイトストーカー」という異名を得た。ラミレズは、殺人だけでなく、強盗、レイプ、そして悪魔崇拝に関わる残虐な行為を繰り返し、13人を殺害、他にも数えきれないほどの犯罪を犯した。
ラミレズはセシルホテルに長期間宿泊していたが、この場所を拠点にした理由は、ホテルがスキッドロウという犯罪多発地域に位置していたためである。スキッドロウは、ホームレスや犯罪者が集まる地区として悪名高く、警察の目を逃れるのに最適な場所だったのだ。さらに、セシルホテル自体も低予算の宿泊施設であり、監視が甘かったため、ラミレズのような犯罪者にとっては理想的な隠れ家であった。
ラミレズがホテルに戻る際には、しばしば血に染まった服を着ていたというが、他の宿泊客やスタッフはその異常さに気づくことなく、彼を無視していた。彼の冷酷さとホテルの薄暗い雰囲気が重なり、セシルホテルの悪名はさらに高まった。
2. ジャック・ウンターベガー:ヨーロッパからの悪夢
ジャック・ウンターベガーは、オーストリア出身の連続殺人犯で、彼の物語は恐ろしくも異様だ。彼は1970年代に女性を殺害した罪で逮捕され、終身刑を宣告されたが、獄中で執筆した自伝が文学的評価を受け、社会的な注目を集めた。これにより、彼は「更生した」とみなされ、1990年に釈放された。しかし、彼は釈放後も殺人を続けていた。
ウンターベガーは1991年にアメリカに渡り、ジャーナリストとして活動する一方で、再び殺人を犯すようになった。その標的は、ロサンゼルスの街で働く売春婦たちだった。彼はロサンゼルス警察が追いかける連続殺人事件を取材する名目で滞在しながら、実際には自らが犯人としてその事件を引き起こしていたのだ。
そして、ウンターベガーが滞在していたのが、セシルホテルである。彼はセシルホテルに泊まりながら、ホテルの外で犯罪を行い、夜になるとその暗い部屋に戻ってくるという、まさに恐ろしい二重生活を送っていた。この事実が明らかになると、セシルホテルは再び「死のホテル」としての異名を深めることとなった。
ウンターベガーは最終的に逮捕され、再び終身刑を宣告されたが、その後すぐに自ら命を絶った。しかし、彼がセシルホテルに宿泊していた事実は、ホテルに更なる暗い影を落とした。彼の滞在中、ホテルがいかに犯罪者にとって魅力的な隠れ家であったかを示す象徴的なエピソードとして語り継がれている。
3. セシルホテルの宿泊者たちの恐怖
セシルホテルには、ラミレズやウンターベガーのような連続殺人犯以外にも、数多くの犯罪者や問題のある宿泊者が集まっていた。彼らの多くがスキッドロウ地区の犯罪者や麻薬中毒者であり、ホテルは一時的な避難所として利用されることが多かった。ホテル内で発生する暴力事件や麻薬取引は日常茶飯事であり、その結果、ホテル内での死亡事件も後を絶たなかった。
セシルホテルは、その歴史において多くの異常事件を抱えてきたが、特にこの連続殺人犯たちの滞在は、ホテルの名声を決定的に悪化させた。彼らの存在が示すように、セシルホテルはただの宿泊施設ではなく、犯罪と恐怖が渦巻く場所であった。
2. 謎の自殺と死
セシルホテルの歴史を振り返ると、数多くの自殺や不可解な死がこの場所で報告されている。その中には特に不気味で、いまだに謎が解明されていない事件も多い。情報源によって異なるが、セシルホテルで発生した死亡事件は80件以上にも上るとされている。元マネージャーのエイミー・プライスによれば、彼女が10年間勤務していた間に約80件の死亡事件があったという。
主な事件一覧
1931年: W.K.ノートンは46歳の男性で、毒を飲んで自殺した。これはセシルホテルで記録された最初の自殺事件とされており、後の多数の自殺事件の先駆けとなった。
1932年: ベンジャミン・ドッド、25歳の男性が銃で自ら命を絶った。若年ながら彼の自殺は、セシルホテルの不気味な歴史の一環となった。
1934年: ルイス・D・ボーデンは53歳の元陸軍軍医であり、喉を切って自殺した。彼の過去の栄光と、その後の絶望的な行動が、当時の社会に衝撃を与えた。
1937年: グレース・E・マグロは9階から飛び降りて死亡した。彼女の死因は「不明」とされ、当時の捜査も進展しなかった。謎が残るこの事件は、セシルホテルの不気味な雰囲気をさらに強化する一因となった。
1938年: ロイ・トンプソン、35歳の男性がホテルの最上階から飛び降りて自殺した。この事件もまた、セシルホテルが「死のホテル」として認知される一因となった。
1939年: エルシー・ゴールドマン、39歳の男性が毒を飲んで自殺した。彼の死もまた、セシルホテルにまとわりつく不幸の連鎖の一部である。
1940年: エラ・D・ローダー、45歳の女性が7階から飛び降りて自殺した。彼女の行動の動機は明らかにされていないが、またもやセシルホテルの名声に影を落とす出来事となった。
1944年: ドロシー・ジャン・パーセル事件では、21歳のドロシーがホテルのバスルームで出産した赤ん坊を窓から投げ捨て、赤ん坊は死亡した。彼女は精神的な問題があったとして無罪判決を受けたが、この事件はセシルホテルの歴史において特に残酷なエピソードとして語り継がれている。
1947年: ロバート・スミス、35歳の男性が7階から飛び降りて自殺した。彼の死もまた、ホテルに取り憑いた死の連鎖の一部である。
1954年: ヘレン・グローニンガー、55歳の女性が7階から飛び降りて死亡した。彼女の行動も不可解であり、セシルホテルにおける奇妙な事件として記録された。
1962年: ジュリア・ムーア、50歳の女性が8階から飛び降りて死亡した。同年、ポーリーン・オッテン、27歳の女性が9階から飛び降り、通行人を巻き込んで死亡するという二重の悲劇が起こった。
1964年: 「ピジョン・ゴールド」として知られるジャクリーン・アン・ギャンノンがホテルの部屋で殺害された。しかし、犯人は特定されておらず、未解決事件としてセシルホテルの歴史に深い影を落とした。
1975年: アリソン・ロウズが飛び降り自殺したが、本人確認はされていない。この事件もまた、ホテルの「呪い」のような現象の一例とされている。
1992年: アーウィン・ネブラット、70歳の男性が飛び降り自殺した。彼の死もまた、ホテルに絡みつく不気味な歴史の一環である。
2013年: エリサ・ラム事件では、カナダ人学生エリサ・ラムがホテルの水槽で死体として発見された。事件の詳細や死因は未解明のままであり、監視カメラに映った彼女の奇妙な行動が多くの憶測を呼んでいる。この事件は、セシルホテルが持つ不気味なオーラを現代にまで引き継ぐ象徴的な出来事となった。
これらの事件は、セシルホテルの不穏な歴史を形成し、多くの人々の関心を集め続けている。
エリサ・ラム事件:現代の怪奇譚
セシルホテルの暗い歴史の中でも、特に注目されるのがエリサ・ラム事件だ。2013年、カナダ人女性エリサ・ラムが失踪し、数週間後にホテルの屋上にある貯水タンク内で遺体となって発見された。この事件は、彼女が失踪する直前にエレベーター内で奇妙な行動を取る映像が公開されたことで、一層の注目を集めた。
1. エレベーターの奇怪な映像
エリサ・ラムが最後に目撃されたのは、ホテルのエレベーター内だった。監視カメラに映った彼女の行動は、まるで何かに怯え、追われているかのようだった。エレベーターのボタンを次々と押し、エレベーターから顔を出して何かを確認するような仕草を見せる。しかし、そこには誰も映っていない。彼女の行動は不自然で、何らかの超常現象が関与しているのではないかと多くの憶測が飛び交った。
2. 屋上の貯水タンク
最終的にエリサの遺体が発見されたのは、ホテルの屋上にある貯水タンク内だった。このタンクに入るには厳重なセキュリティを突破しなければならないため、彼女が一人でそこにたどり着くことは不可能に近いとされた。また、発見された当時、タンクの蓋は閉じられており、外部からの侵入の痕跡はなかった。エリサ・ラムの死因は溺死とされているが、事件の詳細は未だに解明されていない。
セシルホテルのその後:名前変更と再出発
エリサ・ラム事件以降、セシルホテルはその悪名が一層広がり、多くの人々が「死のホテル」として注目するようになった。特にダークツーリズムの愛好者にとって、この場所は魅力的な訪問先となり、事件に関心を持つ者たちが足を運ぶようになった。
ホテル側はこうした負のイメージを払拭するため、2017年に大規模な改装を行い、「ステイ・オン・メイン」として新たなブランドで再出発を図った。しかし、エリサ・ラム事件の影響は容易に消えることはなく、ホテルに宿る不気味な歴史が人々の記憶に深く刻まれているため、完全なイメージ回復には至っていない。
「ステイ・オン・メイン」としての改装後も、セシルホテルの過去はダークツーリズムの一環として語り継がれ、訪れる人々の関心を集め続けている。その影響力は根強く残り、ホテルが歩んできた数々の悲劇を忘れさせないのである。
結論:セシルホテルの恐怖
セシルホテルは、その長い歴史の中で無数の悲劇を目の当たりにしてきた。自殺や殺人、そして未解決の謎が絡む数々の事件。それらは単なる過去の出来事ではなく、ホテルそのものに深く刻まれた影のように、今もなお存在感を放ち続けている。エリサ・ラム事件はその象徴的な一例であり、現代の都市伝説として、後世に語り継がれている。
いくら改装が施され、名前が変わったとしても、セシルホテルに宿る不気味さは消え去ることはない。ここは単なる宿泊施設ではなく、ロサンゼルスの闇を映し出す鏡のような存在である。どんなに明るく装いを変えようと、その鏡に映る影は、決して消えることがない。
セシルホテル――その名が持つ恐怖は、時を経ても色褪せることなく、人々の心の奥底に静かに、しかし確かに潜み続けている。真実は、いつもそこにある。ただし、それを直視できる者は、限られているのかもしれない。