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1980年、最後のJAPAN JAM 2 At 横浜スタジアムで開催される。


チケットとフライヤー
フライヤー

前回のジャパンジャム at 江ノ島ヨットハーバーが大好評だったが、近所の住民から騒音苦情があり、横浜スタジアムでジャパンジャム2が開催となる。
ほとんどのファンは、チープ・トリックがお目当てだったようで実際、トリだった(と思う)。

この日、デイヴが恋人のヒロコさんとやって来た。控えめな感じの若い日本女性だった。
この頃、日本人の両親は、娘が米兵と交際するのを良しとしない風潮にあったようだ。
前年、私がジェイクと付き合っていた時、基地内の車の修理工場で働く日本人男性たちの一人が「米兵と付き合うと人生がガタガタになる」みたいなことを言っていたが、ピンと来なかった。
ジェイクは、私と会う前にアツコという子と付き合っていたが、彼女の両親に引き離されて2ヶ月泣いたと言っていた。
彼は私のタイプではなかったが、ロックを愛するという共通点があり、彼と別れると基地に遊びに行けなくなるので毎週日曜日になると会いに行っていた。実際、一緒にコンサートに行ったり、キャンプ座間で映画を観たり、いろいろな人たちに会えることもあり楽しかった。
親友のペチャは、母親にポールと付き合っていると話したら、大泣きされたという。彼女は日頃、「私は親に信頼されているから」と言っていたのだが。
私は、母にアメリカ人と付き合っていると話したら、ジェイクがいつも食事代を出してくれるのでそっちを心配していた。
ポールは、この年にテキサスの空軍基地へ異動となる。

デイヴは、そういう日本人の親/米兵間の事情もあり、私にヒロコさんに電話して欲しいと言って来たことがあった。
ジャパン・ジャムの初日、ヒロコさんが私に「話があるんですけど….」と言って来たのだが、たぶん、私がデイヴの部屋にイアリングを片方だけ落としてしまったことではないかと頭をよぎったが、彼女は「いいえ、何でもないです」

ジャパン・ジャム2では、米南部ジョージア州アトランタ出身のアトランタ・リズム・セクションがお目当てだった。
ハワイ出身の爽やかなカラパナもとても良かった。


↑邦題が「今夜は帰さない」↓大好きだなぁ………………xoxo


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