うつ病格闘記①
うつ病。漢字では書かない。だって鬱病って、見るからに難しい。なかなか理解されない理由の一つかもしれない。
十八歳の時にうつ病になった。大学に入って二ヶ月後のことだった。あまりにも眠れず、毎夜泣いて、外に出られなくなるどころか一人暮らしの部屋のベッドから降りると動悸がするようになった。お陰でトイレに行くにも一苦労だった。道端で突発的に泣き、入ったばかりの大学の授業に出られず連絡もできずいやはやわたしに何が起こったんだ!? と思ってまず婦人科に行った。
「あなたここじゃないよ」
診察室に入ってわたしは涙ながらに辛い現状を婦人科医に訴えた。そのおじさんかおじいさんかどちらか? と言われればおじいさん寄りの医者はわたしの言うことをじーっと聞いて、ひと言、それだけ言った。さあ、この症状はホルモン由来! PMSだろう! 早く薬をくれ元に戻してくれ! と思っていたわたしは愕然とした。
ここじゃない? どういう意味?
頭が働かなくなるのもうつの証拠だ。これは後から知ったことだが。
医者はカルテを閉じて、「紹介状を書いてあげるから精神科に行きなさい」と言った。
ぽかん。
まさにこんな感じ。
精神科? ん? 精神科?
うまく状況が飲み込めなかったけど診察が終わったことはわかったのでお礼を言って診察室を出た。待合室であんまり待たずに紹介状と手渡され、その精神科が近所にあると教えられた。うつ病には「日内変動」という用語がある。うつ病患者は朝や昼は動けないが夕方になると少し気分が楽になることがある。わたしはあった。だからわざわざ予約を十八時半に入れてほうほうのていで婦人科に来たのに、また病院に行かなきゃいけないのか! だがまだ色々とおかしい。悲しい寂しいつらい苦しいそんな負の感情が頭に詰め込まれ、息だってしにくい。気を抜いたら涙が溢れるし、溢れたら止まらなくなる。一晩中泣き続けたこともある。辛くて苦しくてもう助けてくれるなら精神科だろうが神経科だろうが整形外科だろうがどこでも良かった。しんどすぎた。わたしは重たい体を引きずって、婦人科に長居したつもりはなかったけど真っ暗になっている道を歩いて行った。歩いて行ける距離だったので。精神科に着いた時にはもう疲れ切っていた。誰でもいいから助けてくれ。でもその願いは切って捨てられた。「ごめんなさいね。初診は七時半までなの」
七時半。十九時半。四分ほどしか過ぎてなかったけど、ごねても何の得策にもならないし受付の看護師は申し訳なさそうな顔をしているしこちらも疲れていた。
精神科というものを全く分かっていなかったから、看護師は「明日朝一番に来たらいいよ。予約して帰る?」と尋ねた。わたしがあまりにも絶望的な顔をしていたからかもしれない。わたしは死にそうな声で返事をして、予約をして、帰った。
バスに乗るのは精神的に辛かったので歩いて帰った。その夜も眠れなかった。意味もなく悲しい。意味もなく辛く、心がぎゅうぎゅうに絞られているようで、たくさんの誰かに否応無しに踏まれるところに放置されたようで、世界中の不幸をあなたに差し上げます、味わってください、ともらって味わっているようで、まあ言葉にしづらい苦しみでのたうち回りながら(泣いてるだけだったけど)朝を迎えた。またバスは使わず歩いて行った。
日内変動はひどい時とひどくない時があり、ひどい時は一歩も動けないけどひどくない時は多少は動ける。この日はひどくなかった。良かった。朝一番の予約は八時半だったけど何分か遅れて行った。昨日の夜は精神科は人が大勢いて、待合室のソファは全て埋まっていた。でも朝は人はほとんどいなかった。
わたしはソファに座って呼ばれるのを待った。すぐ診察室に呼ばれるのかと思ったら別室に呼ばれてお兄さんとおじさんの中間のような男の人に色々聞き取りをされた。口を開くと同時に目も開いたのか涙がドバドバ流れた。泣きながら辛いことを真剣にぶちまけた。お兄さんとおじさんの間の人はバインダーに紙を挟んでボールペンを持っていたけどあんまり何かを真剣に書いている感じではなかった。ああ、意味がわからない。この急にやってきた苦しみをあなたは解明できるのか? わたしは分からない。わたしはわたしなのにわたしのことが何も分からない。今どういう状況なのか分からない。なぜわたしは昨日といい今日といい初対面の男の人の前で大泣きしているのか。辛い。なぜこんなに辛いのか。人類史の全て涙を煮詰めてジャムにして大さじいっぱいぶん舌に乗せられて飲み込めと命令されている気分だ。飲み込めない。重すぎる。わたしには今の状況が辛すぎるのだ。
その人はわたしに待合室に戻るように言い、わたしは従った。次に診察室に呼ばれた。診察室の窓から線路が見えた。お兄さんかおじさんかおじいさんで言うと確実におじいさんの医者が軽く、「うつ病だね」と言った。
は?
それはまるで「君は女性だね」とか「空が青いね」言うようになんでもないことのようだった。誰でも手に取れるように待合室にも置いてあった『うつ病について知ろう!』みたいなパンフレットを手に取って色々説明してくれたけど何も覚えていない。でも自分に当てはまることに驚いた。日内変動、という言葉もそこで知った。わたしやんけ。
「治る治る!」
とその時おじいさんの医者は言った。わたしはその後診療を続けるにあたって彼が実はヤブ医者じゃないかと疑うのだけど、その時はその言葉に救われた。今もちょっとだけ救われている。治るらしい。言ったの仮にも医者だし。うつ病との戦いは今年で六年になるのだけど、まあ、まだ治ってはいない。