兼業ホステスがコロナ禍で考えたこと
「え、みゆきちゃん(源氏名)、お昼のお給料だけでやっていけるん?」
ホステス
と言ったらどんなイメージを持つだろうか。
いうてもピンキリなのが北新地の水商売なのである。
座っただけで二桁
というような高級店もあれば
ママとチーママ、学生バイト
の3人でやっているようなスナックに近いものまで。
北新地には星の数ほど夜の店がある。
私自身に関しては、ホステスと名乗るのも烏滸がましい。
常に二足の草鞋で、北新地の美味しいお店なんて全然知らない人間である。
蔓延防止措置、緊急事態宣言期間を経て半年ぶりに出勤をした。
コロナ前は、普通に会社員をしながら週4日20時〜23時まで働いていた。
帰宅は0時過ぎで、
帰ってからは1分たりとも無駄な時間を過ごすことなく就寝し
7時に起きて、お弁当を作って出社する。
幸いにもほとんど残業のない仕事のため、このような生活を2年ほど続けていた。
今考えると我ながら体力おばけを通り越して物怪の類である。
当時の私は
「この生活が守れるなら、
どんだけ睡眠不足になろうとも、
心が擦りへろうとも働く」
と思っていた。
ちなみに
「この生活」
とは、
年に1~2回格安航空券で海外に行ったり、
毎週お気に入りのお花屋さんでお花を買って生けたり、
ヨガに通ったり、
たまにお気に入りのカフェでコーヒーを飲んだり、
トッ●バリューなどのPBを選ばなくてよく、
かつ貯金ができる生活のことである。
別にブランドものを買い漁ったり、アマン東京に泊まるとかいうキラキラした生活のことではない。
馬鹿みたいに高望みの生活だとは思わないのだが、会社の給料だけでは叶わないのである。
前ほどの体力も気力もなく、年内でやめるかどうしようかと考えている
とお店の女の子にこぼした際に言われたのが冒頭の言葉だ。
決して贅沢をしているわけではないのだが(人によっては贅沢と捉えられるかも知れないが)30代にしてなお、手取りが10万円台。
家賃を払って、奨学金を返して、自炊して、ちょっとユニクロで買い物して
となると手元に残るのは、ほんの僅かである。
全ては私学理系に全額奨学金で通い、
大手に目が眩んでしょうもない転職した自分のせいなのだけれども。
自分一人養っていくのも一杯一杯なので、
結婚して子育てしている同世代や下の世代を見ると
「本当にすごい」という尊敬の念と同時に
「私には絶対無理」という拒絶の気持ちで、
孤独にワンルームで茶を沸かす70代になった自分を想像する。
私達に選択肢はない。
それでも辞める?と自問自答する。
夜の仕事は苦手ではなかった。
見知らぬおじさんに恥じらうほど繊細でもないので、
どんなえげつない下ネタを言われてもそれ以上で返せるし、
年の功で大体の会話もそつなくこなして、場も盛り上げられる。
バイトのためノルマはないが、
そこそこ同伴してくれるお客さんもいて、
ママからも重宝されて自尊心も自己肯定感も満たされる。
ただ、それが自分の首を絞めていた。
私の場合、会社で自己肯定感が下がることはあっても
上がることはあまりなかった。
システムエンジニア時代は後世に語り継がれるレベルの事故を起こし、
現在の営業支援ではパートナーさんと一緒に行っても全然売れず、
ただ隣に立ってるデクの棒ヒューマンと化す。
どんなにいい企画を作って、反応が良くても男性社員が優先的に昇進する。
昼間は自分が役に立っているとか、
能力が評価されるとか、
楽しいとかの感情と無縁
なのだ。
その点、ホステスは評価がわかりやすい。
場を盛り上げて、笑いをとれた。
シャンパンを開けてもらった。
小まめにLINEをして同伴してもらえた。
いわゆる「自分のファン」の数や質を増やしたり高めること。
それは自分や自分の努力が認められた証拠、評価になる。
手応えを感じやすいことこの上ない。
北新地には9時から17時の間では見つけられない
自分が必要とされ評価される場所があった。
ただそれは、
不十分な睡眠時間や不健康な食事といったフィジカル的なことから、
おじさんの唾シャワーを浴びたり、
おじさんからボディタッチされたり、
おじさんに思ってもいない「会いたいです」「一緒にご飯たべたい><」というLINEを送ったり、
おじさんから「プライベートで会おう」「ホテル行こう」「やらせろ」「ブス」等々言われたり、
一人の人間というよりもモノとして認識され扱われる
といったメンタルの消費を代償にする必要がある。
それが「この生活」に見合う代償なのだろうか。
いや、全然見合わない。
自分が変わらなければ
自分の環境を変えるための行動をしなければ
自分を消耗して対価を得る
という現状から抜け出せない。
ホステスをしていると、誰かがご飯を御馳走してくれるのが当たり前で
数えるほどだがブランドものをもらったり、お小遣いをもらったり
「人から与えられる」
「だれかがどうにかしてくれる」
と元々他責にしがちな私は、更に卑しい人間となっていた。
自分の人生なのに、自分で責任を持とうとしていなかったのでいつも不満を抱いていた。
時間がないことも、お金がないことも、すべて「誰か」のせい。
輩?と疑う思考回路である。
確かに、国がもっと学費の支援をしてくれたら
会社がもっと男女の昇進、賃金差を無くしてくれたら
とはもちろん思うが、愚痴っても一銭にもならない。
自分と向き合い、様々なことに挑戦するようになってやっと
自分の人生を変えられるのは自分しかいない
ということに気が付くことができた。
お金を払って「手伝ってもらうこと」はできるが
自分の体重を落とすのも
英語を話せるようすることも
「私」がやらない限り誰もやってくれないのである。
手渡しされるお給料を、そのままATMに突っ込んで株や仮想通貨を買う
私が唯一できていた貯金に近い行為である。
時間ができた私はその株や仮想通貨を売って
TOEICの講座を受講することにした。
自分の人生を変えたい
そのためには時間やお金、または強靭な精神力
など何かgiveしないといけない。
思考停止で酒を飲んでいた方が
「なんとなく頑張ってる感」
に浸ることができ、泡銭も稼げて楽だ。
自分に投資をする。
新しいことに挑戦する。
思うような結果にならないかも知れない。
それでも自分で自分の人生を生きる方が私はいい。
コロナが私に教えてくれたこと
自分の人生の責任を負うことの怖さ
自分の人生を再構築する楽しさ
自分の人生を切り開ける自尊心
何物にも変え難いことだった。
ホステス業が再開されてから、そのようなことをぐるぐると考えつつ週に1日だけ出勤している。(してるんかい。)
そして家賃とガス代の請求書と給与明細を見比べて、ため息をついている。