親に嘘をついて行ったロンドンで踊り明かした日と関空の鯖定食
私が中学生の頃といえば
松浦亜弥、w-inds.、ハリーポッター
だった。
そして、私はハリーポッター役のダニエルラ・ドクリフ君に恋をしていた。
毎月Screenを買ってはダニエル君をスクラップし、生写真プレゼントに応募し、なけなしのお小遣いをはたいてグッズを買い、家にパソコンがなかったため友達にダニエル君の情報を調べて印刷してもらっていた。
図々しくも「私に送る年賀状にダニエル君を印刷してくれ」とまで要求し、ベッドの真上には賢者の石のポスターを貼って、見つめながら眠りにつく。
もちろん、当時流行っていた缶のペンケースはダニエル君で埋め尽くされていた。
非常に年相応の痛い中学生だった
ラドクリフ家に嫁ぐにはイギリスのことを知らないといけないという使命感もあり、イギリスに関する本を読み、世界ふしぎ発見の舞台がイギリスであればビデオに録画してチェックし、夏休みの宿題の新聞作りもイギリス王室についてをテーマに模造紙にメアリー女王を貼り付けたりと、大英帝国は日本の片田舎に住む中学生女子までも征服しようとしていた。
しかしダニエル君の成長は早く3作目アズガバンの囚人では、賢者の石の可愛らしさもすっかり消えてしまい、私もポスターに向かって「おはよう」「おやすみ」と言うのをやめた。
ちなみに途中から英語じゃないと伝わらないのでは?と考え「Dan,good morning」「Hey Dan,good night」と英語バージョンにしていた。
ダニエル君との(一方的な)恋はそこで終わったのだが、ダニエル君やハリーポッターを通して好きになったのがイギリス、さらに言うとロンドンであった。
何にそんなに惹かれたのかと言われると「これ!」と挙げることはできないのだが、アメリカと比べて歴史的な感じや牧歌的なところ、未だ魔女を名乗るおばあちゃんがいるようなファンタジックなところだろうか。
幼い頃のキャラクターものといえば、なぜかピーターラビットグッズを与えられていたのも潜在的に刷り込まれていたのかもしれない。
そんな私がイギリス地を踏めたのは23歳の頃だった。
私は4年生後期の学費が払えなかった結果、大学を除籍処分となりフリーターとしてバイトに明け暮れ、親友のトミー(仮名)は留年して前期卒業となったため、就職までの期間イギリスに留学していた。
「私がいる間に遊びに来てよ!」
というような話が多分あったんだと思うが、とにかく私は念願のロンドンへ行くことにした。
卒業するつもりで行った卒業旅行の韓国ぐらいしか海外旅行経験のない私が、一人で飛行機に乗り海外に行くことを当然ながら親は心配した。
「向こうに着いたらトミーが迎えに来てくれるし、色々案内してくれるから大丈夫」
6割方嘘だった。
八日間の日程のうちトミーと過ごすのは三日だけだったし、迎えに来てもらう約束もしていなかった。
前記事の冒頭
でもあるように、どこで見たか聞いたか記憶がないのだが
「カンタベリー大聖堂に行きたい」
という一心でカンタベリー行きを決めており、さらには
カンタベリーからドーバーへ行き、そこから船でフランスのカレーへ渡る。
という謎の計画を立てていた。スムーズにカレーまで辿り着けることができれば、そこから列車でベルギーまで行くつもりだった。
島国生まれかつ、関西人の私は最大限にEUの恩恵を受けようとしていた。
結局カレーに20分滞在しただけで港から町に行くこともなくイギリスに引き返すことになったのだが、いつかこの計画はリベンジしようと思っている。
そんな訳で前三日間は一人でカンタベリー〜ドーバーをうろつき、四日目にやっとトミーと合流しロンドンに繰り出した。
名所という名所を周り、2階建てのバスに乗りフィッシュアンドチップスを食べに行き、ショーディッチで古着屋を巡りBeigel Bakeのベーグルを食べ、グリニッジ天文台で子午線を跨ぎ、テムズ川を下った。
夜には日本でも数えるほどしかいったことがないクラブに行った。
トミーはおしゃれなサークルに入っており、時々そのサークルがクラブでイベントをしていたので参加させてもらっていた。
その程度のクラブビギナーだったが、大音量の中暗闇で酒を飲みリズムに乗るのは純粋に好きだった。
国が変わってもクラブでやることに変わりはない。暗闇で酒を飲み楽しく踊るのみである。
ただ、いつもの「イケてる人」と「その他」というような暗闇でもうっすら見て取れるヒエラルキーが存在しないロンドンのクラブはことさら楽しかった。
それは旅行者だからかもしれないが、私は現地の人たちと音楽に乗り、尻をぶつけ合っていた。現地のアフリカ系らしき男性とは腰の位置が違いすぎて、男性の尻は私の背中に当たっていた。
ParamoreのMisery Businessで会場は一体となり、日本の片田舎から出てきたフリーターは肩車され、
トミーは18歳のブロンドヘアーのイケメンとイチャついていた。
Dr.Martensのヒールブーツで踊り明かした体はボロボロだったが、今までの人生の中で一番楽しい夜で、今でもトミーと会うたびに「あの夜は本当に楽しかった」「また必ず二人でロンドンに行こうね」と懐かしむ。
それはダニエル君のお陰でもあるのかもしれないし、あるいは周りは大学院に行ったり、就職したりしているのに、自分はフリーターでいつ大学に戻れるかもわからず漠然とした日々を過ごしていた中での現実逃避の八日間だったからかもしれない。
イギリス王室グッズでパンパンのトランクを抱えて私は関空に戻った。
母が迎えに来てくれ、たかが八日間離れていただけなのに醤油味に飢えていた私はフードコートで鯖定食を食べながら、カンタベリーの一人旅のこととクラブのこと以外を母に話した。母は安堵感溢れる笑顔で話を聞いていた。
2年後、母は急逝し、その半年後私はロンドンへ留学した。
関空から発つ時も着いた時も、あの日とは違って母はおらず、鯖定食を思い出して泣いた。
今でもロンドンは自分にとって特別な都市で、海外旅行が普通になれば行きたいし、機会があればもう一度短期間でもいいから住みたい。ロンドンへの片思いは続いたままである。