効率化の罠
効率よくとか、利益率を高めることってビジネスではとても大事なんですけど、あんまりそういうことばっかりやってると、思考が貧しくなるので危険だよね、ということを最近良く考えます。
例えば、散らかった部屋がある。いらないものを捨てて、必要なものを絞り込み、モノの場所を決めて、後片付けをきちんとすることで、生活は滞りなくまわるようになるでしょう。基本的にはそれでOKなんです。でも、実はこの手の思考には、大きな落とし穴があると僕は思っています。
まず、「余計なもの」を捨てなくちゃいけないのはなぜなのか。それは端的に言えば、部屋のキャパシティに限界があるからですね。昔は、ハードディスクにデータが増えてくると、こまめに消去したり、デフラグをかけたものですが、今は動画編集でもやってなければ、そんな必要はないでしょう。
「効率よく」「無駄を省く」必要があるのは、空間や時間に限界があるからです。これは、部屋の片付けであっても、モノの考え方であっても同じです。つまり、効率的なモノの考え方が必要になるのは、我々人間の知性には限界がある。もっとはっきり言えば、我々の頭がバカだから、効率よく、無駄を省く必要があるのですね。
もし、神の如き知性の持ち主がいたとしたら、効率化や合理化は必要ありません。世界には無駄なものなどないからです。少なくとも、コンピューターのデータ処理は、どんどんそっちの方向(効率化するのではなく、冗長であっても、マシンの出力に任せてすべてを計算したほうが正解に近づきやすい、という考え方)に向かっています。
ということで、効率化や合理化を徹底しようとする人は、その動機が、自分の知性の限界から(あるいは部屋の狭さから)起因しているということを自覚すべきだと僕は思います。
そして、そういう思考は往々にして、その人の知性の出力を低下させます。長い間エンジンをかけなかったバイクは、バッテリーが上がってしまいます。効率化された世界や仕事を、さらに効率化させることばかりやっていたら、僕らの脳はますます退化するでしょう。
例えば、世界の本質に関わるような問いかけを考えるときに、効率化は大きな制約になるでしょう。何かをこの世界に新しく残したいと思うなら、僕らは効率化の罠から手を離さなければいけないのだ。
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