だんだん解って来た!(のかな?)
アセンションや波動を上げる事について色んな人が色んな事を言ってます。
過去にも「全ては自分で」と書いた事が有るのですが、それが核心に変わりました。
スピリチュアルで有ったり、アセンションを目指す人達がこの記事を読んでくれている事を前提として書くのですが、今回、ちょっとした気付きが有ったんですよ。
朝起きた時は快調だったんですが、10時くらいから咳が出て吐き気がして、頭の右だけ痛くなったんです。
その後、自分の呼気がほんの少し「風邪臭い」と感じたんです。
前日が出社日だったんで「シェ」を食らったのかな?って思ってました。
例え「シェ」を食らっても普段なら午後には回復してたんです。
※私はヘビースモーカーなので「シェ」に強いです。
が、その日は午後になっても回復しないどころかどんどん酷くなっていきました。
あれ?
と思ったら即座に、久々の「アセンション症状」が始まったんです。
新しいタイプです。
今までは「頭クルクル」と「体重たい」が最も多かったのですが、その日は違いました。
頭はクルクルしないのですが兎に角頭が辛くて、「頭グアー」って感じで呼吸が荒くなって少し体が重たい感じでした。
??
以前にも一回だけ似た様な感じだった事が有るかも知れません。
兎に角その日は「たすけて~!プレアディア~ン!」って言いたいくらい辛かったです。
夕方5時くらいに症状は治まりました。
そしたら入って来たんです。
「人それぞれで良い。」
誰の声なのかは判りません。
「人それぞれで良い。」
この言葉の意味はこうです。
アセンションや波動を上げるために様々な「縛り」みたいな物が有るじゃないですか。
あれ、全部どうでも良いって事なんですよ。
きれいな水、自然とのふれあい、クリーンな食べ物、家を清潔に、グラウンディング・・・・
全部、ぜ~んぶ!どうでも良かったんです!
勿論、色んな事に気を使えるのであればそうしたほうが良いとは思います。
やった方が良いと言われている事の全てが、逆説的に考えて見ると「愛と光」に辿り着くための手法だとしたら?
理屈や上っ面の理解では無く、本当に理解できているのかという事なんじゃないでしょうか?
私が目覚めた時には、只々、「愛なんだ~!愛だったんだ~!うおぉぉぉ!」
って感じでした。
その後「光と闇」の概念に触れ始めて数年経った今でも、
「光は解る。解るけどそれってなに?明確に説明できる?」
って状態です。
まだまだ理解を深める必要が有ります。
目下の所で言えばソース(源の神様)がもしも「光」だとしたら、「闇」は生まれない事になってしまいます。
違う説で考えたとして、「闇のソース」が存在する前提とすると、「ソースがひとつ」から始まったというのが間違っているという事になります。
もしくは「ソース」が最初に行った「増殖(分離)」が「光のソース」と「闇のソース」だったことになります。
難しいところです。
話を戻します。
重要なのは
兎に角他人の言葉に従う必要は無い。
有るのは「愛と光」だけ。
って事です。
極端な話に例えるとこうです。
若いシングルマザーが一生懸命に暮らしています。
子供に最大限の愛を注いで、手助けしてくれるご両親や兄弟も愛し、最大限の感謝をしています。
それでも、一日16時間とか働かないといけない状況です。
部屋の掃除もままならず、自然に触れたり、お香を焚いたり、瞑想したり、何一つでき無い程、一切の余裕が無いんです。
それでも目覚めていて、愛に生きようとしています。
この人、波動は絶対に上がらないのでしょうか?
この人がアセンション出来ない理由が必要ですか?
ね?
だから、「出来る事だけ」やれば良いんですよ。
でも条件が一つだけあります。
それは「手を抜かない事」です。
他の記事にも書いてますが、
私は常々部下にも教えているんです。
”
何が出来なくても、何が間に合わなくても、何をミスっても良い。
ただし、絶対に手を抜くな。
「技術」に対しても正直でなければいけない。
そうすれば何時でも、どんな事でもなんとかなる。
”
はい。
先週も配下の1チームで納期絡みの大問題が起きたのですが、途中から私が「介入」したら「押し付けられた案件」が一つ無くなりました。
つまり、「トラブル」が勝手に消えたんですよ。
これも他の記事で書いた事が有りますが、「人生で手を抜かなければ後悔が無い。」
これも正しかったんですよ。
※ただし、エゴがかなり減って無いと後悔は残ります。
「なにもするな。」って事じゃないですからね。
セージやお香を焚いたり、キャンドルでも、出来て無くても瞑想したり・・・
やりたい事で出来る事は何でもやるべきです。
でも例えば「クリーンな食べ物」とか一般庶民はほぼ不可能です。
「大きくない神示」ではこんな感じの記述が有ります。
「毒の食い物でも、有難く食べれば毒では無くのなるのぞ。」
また、海外のチャネラーさんが昔、こんな事を言ってました。
「良い食べ物が手に入らず、例えそれが毒だったとしても、
あなた方の意識レベルが高ければ毒さへ無効化できます。
荒野でガラガラヘビにかまれたとしても、意識の力でそれを
無効化する事が出来るのです。」
さあ、前に進みましょう!
何が無くても、どんなに辛くても、先に進む事は可能なんですよ。
きっと。
「プレアデス星人から聞いた事」ってのに載ってましたが、
”
ハイアーセルフはアストラル界に存在する大きな魂です。
ハイアーセルフは「今世」で経験したい事を選び、それに適した魂の部分を自身から分離して地球に転生させるんです。
”
これが「当たらずしも遠からず」とだけ想定したとしても、「人生を精一杯生きる」事はおそらく「マスト」な考え方ですよ。
これは「無理する」って意味じゃないですからね。
例えば、「精一杯サボる」、「精一杯休む」、「精一杯勘違いする」・・・
どんな事でもです。
私は「ぶっ飛び先駆者スピリチュアリスト」でもないし、高次の存在とチャネリングが出来るレベルでも無いです。
まだまだ、「泥の中を匍匐前進中」です。
これからも精一杯、精一杯頑張りますよ。
はい。最後まで読んでくれた方、有難う御座います。
前進、前進です。
「フリースタイル」で良いのです。
とは言え、「プチ」でも良いので一度は「断食」をお勧めしますけどね。
現代的な生活を送っているとどうしても「肉の乗り物」が「疲労困憊」なんだと考えて見て下さい。
疲れまくってると色々と上手く行きませんからね。
「肉の乗り物」が「精一杯」休もうとすると、内臓も含めて「お休み」が必要なんですよ。
ついでに「頭」も休めますから。
断食明けに塩味のおにぎりを泣きながら食べる経験って素晴らしいですよ。
では。