知足者富(足るを知る者は富む)
『老子』に書かれている言葉に、
「知足者富」がある。
「ちそくしゃふ」と読んだり、
「足るを知る者は富む」というように
書き下し文で読んだりする。
イベルメクチンの発明が元になって
ノーベル生理学・医学賞を受賞した
大村智さんが、『致知』の記事の中で
「人生を豊かにしてくれる一番の基本」
として紹介されており、印象に残って
いた。
「足るを知る」という言葉であれば、
もちろん小さい頃から何度となく
聞いてきた記憶がある。
それができる人間になれば、
「富む」のだというが、
これはどういうことか。
「富む」と言った場合に、
真っ先にイメージするのはお金。
金銭的に欲張らない。
強欲はろくな結果を生まない。
自分が必要十分なお金で満足し、
残った分を他の人に回すことが
できれば、社会厚生の向上に
つながるだろう。
正に「金は天下の回りもの」
という考え方だ。
とはいえ、生きて行く上では、
ある程度お金に余裕を持っておく
ことが、心の余裕にもつながり、
ひいては生活の質の向上にも
つながる。
カツカツの状態で過ごすのは、
心理的に厳しいものがあり、
周囲との関係もギクシャクしやすい
のは多くの人が実感するところ。
昔は、お金などなくとも、
みんな幸せに、共存して暮らしていた
はずだが、一度形作られた経済社会を
今さら古いスタイル(例えば物々交換)
へと戻すことはそう簡単ではない。
お金がなくても、豊かな人生を過ごす
ことは可能なのだろうか。
そこは、「豊かな人生」の定義次第、
というのが実情だろう。
明石家さんまさんばりに、
「生きてるだけで丸儲け」
の精神をインストールできれば、
間違いなく日々の生活や豊かさが
増すに違いない。
生きている、ただそれだけで、
何とも有り難い。
すなわち「豊かさ」を享受できて
いる。
そんな解釈が成り立つことが
望ましい。
ついつい「お金」に執着している
自分にふと気づくときがある。
もちろん「お金」も大事だ。
それは疑いない。
世の中の多くの人もそう思っている。
しかし、「お金」に踊らされている
ことはないか。
本末転倒な事態に陥っていないか。
なかなか気になるところだ。
死んだときに、現世のお金はどんなに
頑張っても持っていくことは不可。
だから、無理にたくさん貯め込んで
おく必要はない。
そうやってお金に対する執着を
手放せたとき、きっと自分は
「富める者」になるのだろう。