『出現する参加型社会』の対話会を主催して
かねてより楽しみにしていた、
私が主催する対話会。
本日無事開催することができた。
こちらでもお知らせしていた通り、
『出現する参加型社会』をネタ本と
しつつ、マーケティングの世界で
話題になって久しい「CGM」とか
「UGC」のことを念頭に、
参加者同士の創発的な対話を行おう
という趣旨の会である。
同書の著者、田原真人さんもマレーシア
からご参加いただき、予定の1時間半が
経ってもすぐに気付かなかったくらい、
2時間近い間、濃密な対話を交わすことが
出来た。
自分の中で、まだ全てを消化しきれて
いないものの、今後の自分の進むべき
道を考える上で非常に重要なヒント、
キーワードが目の前にいくつも提示
された感じがしている。
しばらく頭の中に寝かせる目的で、
それらのヒントやキーワードなどを
自分なりにまとめ直し、箇条書きに
しておきたい。
これを読まれても、
「何のことやら!?」
となるかもしれないが、
私自身の備忘録であり、
将来へのメモなので、
ご容赦いただければと思う。
「参加型社会」が立ち現れる前の、既存の社会構造は、「参加させられ型社会」と対比的に呼ぶことが出来る。
消費者が生産者的な立場で市場に関わっていく、いわゆるプロシューマ―(ProducerとConsumerの造語)概念が、「参加型マーケティング」の出現により、あちらこちらで花開いている。
「デジタル監視社会」、「デジタル全体主義」とでも言うべき状況が立ち現れてきている。AIやビッグデータの活用によって、信念対立があおられ、社会の分断が起こっており、「暗黒社会」的なシステムが構築されている。
そんな社会状況の中では、
⓵個がしっかりと自立すること
➁システムに取り込まれないようにしながら、よろめき歩きつつ進むこと
⓷そこで転んだり、不安に陥ったりしても、支え合える仲間とつながること
が必要である。
江戸時代のエコシステムに範をとることが大切ではないか。独立した個々人が、循環的で持続可能な社会を構築していたのであり、今日本が直面している「人口減少社会」をどう迎えるかの解が、こんなに身近なところに転がっていたと言えるかもしれない。
メディアの側はストーリーありき。ディレクターの撮りたい絵、ストーリーに沿う形で事実を集め、編集・脚色して視聴者に届ける。その呪縛を解き放てる個を増やし、ネットワーク化していくことで、フェアなものの見方を維持することができる。
植民地主義は今なお健在。第二次大戦後のアジアでは、支配者層による分割統治が成功を収めたという見方が可能。分割して争わせ、平和にならないよう常に争いの種を撒くというやり方がずっと機能してきたと言わざるを得ない。
ゆとり世代は、プロジェクトの立ち上げが非常に上手で、「参加型」的な指標で評価したら非常に有能、優秀な人が多い。評価する側、体制側が、時代遅れの意識で、型にはめて評価することの悪弊を認識すべき。
自分自身が強い個、アクティブな個として自立し、システムに取り込まれずにむしろシステムをアップデートしていく力を付ける。渦を巻く、巻き続けることが肝要。
少しでも気になる話があったなら、
是非田原さんの著書をひもといて
みて欲しい。
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己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。