葛飾北斎と小布施
小布施町レポートを何度かに分けて
書いてきたが、今回で一応の区切りと
するつもり。
葛飾北斎が、この小布施を何度も
訪れており、「北斎館」という名の
美術館が出来てからはここを目的に
多くの観光客が訪れていることは、
ご存知の方も多いかもしれない。
元々、北斎は本所(今の東京都墨田区)
の出身である。
90歳の生涯のうち、93回も引っ越しを
したという逸話が残っているものの、
基本的には東京の下町周辺にずっと
住まっていた。
出身の墨田には、北斎通りと名の付く
通りがあり、「すみだ北斎美術館」が
オープンしていて、私も訪ねたことが
ある。
元々、富士山好き、北斎好きで、
かねてより「信州小布施北斎館」を
訪ねたいと願っていたのが叶った。
裏手にある駐車場から、正面玄関に
回って入館。
美しい街並みに溶け込んだ、美しい建物。
入ると、このような素敵なエントランスが
出迎えてくれる。
北斎は「画狂人卍」と名乗っていたことも
ある。
狂ったかのように、画を描いて、描いて、
描きまくった人。
彼の人生を知れば、その言葉通りの人だと
誰もが頷くところだろう。
収蔵作品などの紹介は省くが、すみだに
あるものとはまた異なって、興味深い。
特に、版画ではなく実際に絵筆で描いた
「肉筆画」作品が沢山あって、
その素晴らしさを存分に味わえる。
神輿のような見た目の「屋台」という
ものも展示されており、この天井画を
北斎が描いたのだという。
これがまた、圧巻。
三十六景の中でも一、二を争う人気の
「神奈川沖浪裏」の浪を彷彿とさせる
画が、こちらの写真である。
それぞれ「男浪」「女浪」の名前が
付いている。
実は、北斎が初めて小布施を訪ねたのは、
齢83歳のとき。
江戸から歩いて行ったのだから、
北斎の頑強さ、健康度合いは、当時に
あっては群を抜いていたと言えよう。
しかも、その後89歳まで、4度にわたって
訪れているというから恐れ入る。
その4度の小布施訪問を実現させた人物、
それが高井鴻山という豪農にして豪商、
小布施の偉人であったというのは、
今回訪問して初めて詳しく知ったところ。
高井鴻山記念館には、北斎から直に
画を学んだ鴻山の直筆になる作品が
展示されている。
なかなかお見事な作品揃いだ。
彼がパトロンとなって、小布施滞在中の
住居から何から全て手配して、手篤く
もてなしたからこそ、北斎は80代に4度もの
小布施への訪問を果たせたのである。
恵まれた環境で、肉筆画を中心に意欲的に
作品を仕上げていった北斎。
80代にして、まだまだ上手くなれる、
100歳、110歳まで生きたらそれこそ
神技を発揮する、彼は『富嶽百景』の中で
そんなニュアンスを語っているのだ。
「90歳にして奥意を極め、101歳にして神妙ならん。110歳にして、一点一格が生きるがごとくならん」
天才だと言われる北斎。
もちろん、画力に天賦の才を発揮した
ことは間違いないにせよ、
その「夢中になる力」が何より天才的
であったと、彼の人生を見て強く印象
付けられるところだ。
北斎の「夢中力」のごくわずかでも
自分の身に付けたいものである。
尚、神山典士さん著のこちらの本に、
鴻山と小布施に関する話の他、
ヨーロッパで熱狂的に支持された経緯等、
非常に興味深い話が沢山出てくる。
是非一読されたい。