日々を丁寧に生きる
プロのスキューバダイバーのお話しを
聴く機会があった。
私自身、シュノーケルなら経験があるが、
スキューバは未体験。
あの美しい海に潜って、色とりどりの
魚たちと戯れるというのは、どんなに
素晴らしいのだろう・・・
と思うことはあっても、これまでの人生
では残念ながらご縁なし。
スキューバで海に潜ることを、言葉の誘導
だけで簡易疑似体験させてもらったのだが、
その際に「へー」と思ったこと、それが、
水の中では自分の呼吸の音だけが聞こえる
という指摘だった。
言われてみればそうなのだろうと分かるが、
何せ未経験、未体験なものだから、
その指摘がやたら新鮮だったのだ。
水の中では、聞こえてくる自分の呼吸音に
耳を澄ますこととなる。
吸う音が「ヒューッ」と聞こえ、
吐く息が「ボコボコボコッ」と聞こえる。
ふと、ニュースステーションに出ていた
須賀潮美さんの中継を思い出す。
(年齢がバレるw)
この、呼吸に集中するということ。
これは、最近流行りのマインドフルネスと
思いっきり共通している。
「今、ここ」にあることを感じる。
自分の呼吸に意識を置き、一つひとつの
吸うこと、吐くことを注意深く味わう。
そう、スキューバはマインドフルネスを
動的に実践することに他ならないのでは
ないか、そんな気付きをいただいた。
「禅」「ZEN」という言葉も、
マインドフルネスとほぼ同義に使われる
ことが多い。
禅宗のお坊さんは、ひたすら座禅を組む
イメージがあるが、座禅の際にはひたすら
無心になったり、公案を考えたり、
とにかく何か一つのことに集中するのだ
と理解している。
座禅に対して「歩行禅」という言葉を
聞いたことがある。
ただひたすら歩く、それを修行とすることの
ようだ。
歩くときは歩くことに「全集中」すること、
それもまた、「今、ここ」にあり続けると
いうことになるのだろう。
この「歩行禅」は、考えようによっては
スキューバと同じ仲間だよなぁ、
そんなこともまた頭の中に去来する。
マインドフルネスという概念、そして言葉。
これは、元々は仏教から来ているのは
有名な話。
座禅なども含め、源流をたどっていけば
同じところに行き着く。
外来のものをありがたがる風潮は、
日本人に長きにわたって染み付いている
習性なのだろうか。
何も「マインドフルネス」という外来語を
使わずとも、「禅」でいいではないか、
などと思わなくもない。
いずれにしても、その本質が何なのかを
探り当て、人生を有意義にするために
使いこなせればよい。
そのためには、流行りものに飛びつく
ことも悪くはないが、昔から我々が
普段の生活でやってきたことの中にも
色々な宝物が眠っているかもしれない
ことに意識を向けたい。
私自身は、ここ数年、以前に比べて神仏に
お祈りすることが増えた。
但し、願い事を叶えて欲しいとばかりに
祈るではなく、あくまでも「感謝」を
捧げることを専らとしている。
明石家さんまの「生きてるだけで丸儲け」
よろしく、今日も元気に過ごせてとても
ありがたい、そう感謝するのである。
感謝するときは、必ず自分の息に意識を
向ける。
スーッと吸い、ハーッと吐く。
「今、ここ」で生きていると実感する。
今年で人生100年時代の折り返し、
日々を丁寧に生きたいものだ。