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実るほど頭を垂れる稲穂かな

昨日の朝、恒例の週末ランニングで
外に出た折に、そろそろ収穫が近く
なってきた稲穂がところどころで
目についた。
そんな風景を目にする度に、
タイトルの句を思い出す。

そんな話を以前にも書いた記憶が
あったので、調べてみたところ、

なんとまぁ、正に昨年の今日、
この句をネタに記事を書いていた
ことが判明。


思考回路が単純と見るか、
あまり進歩がないと見るか、
あるいは一貫性を保っていて
ヨシ!と考えるか、
何とも微妙なところ。

ただ、折角同じ句をネタに書く
ならば、昨年書いたこととは
違う内容にしつつ、何かしら
進歩の見られる内容で書こう、
そんな結論に落ち着く。

この句の解説は、ちょっと検索
すれば、山のように出て来る。
自分の言葉で説明を試みると、

稲の実りが大きくなればなるほど、その重さで先端が垂れ下がって来る。
その様子が、人の徳が大きくなればなるほど、他人に対して謙虚に頭を下げるようになることと、まるで瓜二つである。

という感じだろうか。

この句を座右の銘にした人として、
松下電工(現パナソニック)の創業者
である松下幸之助翁がいらっしゃる。
彼自身、「商売の神様」と呼ばれるほど
大成功を収めた方であるが、
とにかく謙虚で、周囲の人に常に気を
遣い、ことあるごとに感謝を伝える

正にこの句を地で行く方だったという
逸話が多い。

それでいて、厳しいところはとてつも
なく厳しい。
商売に情熱を傾け、何としてもやり抜く
心の強さ、芯の強さ
を兼ね備えていた
こともまた、誰もが知るところだ。

「成功者」と言われる人には、
様々なタイプがいる。
松下翁のように、情熱的に、ひたむきに、
自身の哲学に基づいて努力を継続する
人もあれば、
傍目にはもっとスマートに、効率よく
成功に辿り着いているように見える
人もある。
あるいは、ジェットコースターのように、
毀誉褒貶の激しい人生を送っていたが
最終的には成功を収めた、そんな人も
いるだろう。

どんなルートを辿るにせよ、
自分自身の努力「だけ」で、
自分自身の才能「だけ」で、
自分自身の幸運「だけ」で、
成功に行き着く人というのは
決していない。
あり得ない。
そこには、必ず誰かの助けが
あるものだ。

そのことが分かって来る、
腹落ちしているからこそ、
「有り難い」
という真摯な気持ち
になり、
誰に対しても頭を下げてその
謝意を伝えることが当たり前

なるのだろう。

自分のことばかり、
自分の利益ばかりを
考えている人のことを
「我利我利亡者(がりがりもうじゃ)」
と呼ぶ。
何ともおどろおどろしい呼び名
であるが、他人への感謝を忘れて
いる時点でこの我利我利亡者に
近付いていると言える。

頭を垂れない稲穂 = 我利我利亡者

そんな図式を念頭に、
頭を垂れるだけの中身が
ズシリと詰まった稲穂

目指したい。

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ahiraga
己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。