「学問」の重要性は、「問い」にある
『学問のすすめ』は、言わずもがな、
福沢諭吉の大ベストセラー。
高校時代に読んだ記憶はあるが、
その内容は今や頭の中からスッポリ
抜け落ちている。
10月に、友人の誘いに乗って神輿を
担がせてもらったのだが、
冒頭にある写真「学問のすずめ」と
いうダジャレの描かれた箇所があって、
記念に写真を撮らせてもらった。
ダジャレの元となった『学問ノススメ』
と言えば、来年からその顔が徐々にお札
から消えていく福沢諭吉先生の、
代表的な著作である。
久々に読み返してみるのも良かろう、
そのように思い立ち、パラパラと
読み返してみた。
ざっくりその内容を要約すると、
以下のようなものとなる。
中でも重要だと思うのは、真ん中のあたりに
ある「問いの重要性」だ。
「学問」という言葉を見れば分かる通り、
これは「学ぶ」と「問う」の合成である。
学びながら問う、問いながら学ぶ。
両者のシナジーこそが重要なのだ。
「問う」、あるいは「問いを立てる」。
これは、実のところ意外と難しい。
そもそも、どんな「問い」を立てれば
良いのか、最初は途方に暮れる人も
少なくないのである。
とはいえ、あまり難しく考える必要は
ない。
「それって本当?」
「なんか嘘くさくない?」
というような、ごく自然な感情の発露に
反応するというのが一つのやり方だ。
自然の成り行きに任せても、
何も思い付かない!
そんな人は、自分の好きなこと、
「推し」の対象などについて、
あれこれ思いを巡らせるところから
始めるのも良さそうだ。
とにかく、「問いを立てる」などという
堅い言葉に萎縮する必要はない。
気持ちの赴くままに、色々と考えてみる
ところから、道が開けるだろう。
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最近、と言ってももうかなり経つが、
明治大学の齊藤孝教授が、
『学問ノススメ』の現代語訳バージョンや
図解バージョンを出版されている。
文語調が苦手な人は、とっつきやすい
こちらをひもといてみることを
オススメしたい。