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メディアって何なのだろうか

昨日、マーシャル・マクルーハンの
ことを枕にしてメディアの話を
しようと思っていたところ、
神経言語プログラミングの話に
なってしまったので、
今日こそメディアの話をば。

そもそも、メディアとは何だろうか?

一般的に、「メディア」と聞くと、
テレビや新聞、今はインターネットを
思い浮かべる人が多いだろう。
すっかり日本語化していると言って
良いと思うが、一般的な日本語訳は
「媒体」である。
つまり、何かと何かを「媒介するもの」
というような意味合い。

これは、英語のmediaという単語の
由来を知れば納得できる。
実は、mediaという語は複数形、
単数形は何かご存知だろうか?
正解は、、、


medium

なのである。
複数形の方が文字数が少ないという
意味でレアな単語。

MサイズのMがmediumのMである。
日本語の大中小でいうと中。
真ん中、だんご3兄弟の次男。 
つまり、間にある。
ステーキハウスにいけば、火の通り
を中くらいに、という意味となる。

これでお分かりいただける通り、
メディアというのは、
情報源と視聴者との間を埋めるもの、
まさに「媒介するもの」、
だから「媒体」なのである。

行ったことも会ったことも
残念ながらないが、恐山にいる
いたこさん、いわゆる「霊媒」も
英語では medium または
spirit mediumという。
(ちなみに、spirit は「魂」)
「中継するもの」
と訳しても良いのかもしれない。

そんな、元々の意味に立ち返って
みると、色々腑に落ちやすいのでは
ないかと思う。
マスメディアというのは、マスが
一般大衆の意味だから、
情報源と一般大衆との間を媒介する
もの。
ソーシャルメディアというのは、
ソーシャルが「社会の」とか
「社交的」といった意味なので、
社交を媒介する、つまり人と人の
社会的なつながりを媒介するもの
ということになるわけだ。

「もの」というと少々曖昧かも
しれないので、「方法」「手段」
と言い換えた方が良いだろう。
要は、「メディア」とは、
「情報の中身と、情報の受け手とを
媒介する方法・手段」
という定義になる。

この「メディア」という概念を、
冒頭に名前を出した
マーシャル・マクルーハンは、
『メディア論』
という1964年出版の名著で、
とても鋭く分析している。
彼の「メディア」の定義が、
とても独創的なのだ。

「人間の(肉体器官の)拡張」
「メッセージ」

一見すると、先に私が書いた定義と
全く異なるようにも見受けられる。
しかし、その本質においては、実は
共通しているともいえる。
なぜなら、「人間の拡張」にしても
「メッセージ」にしても、情報
コンテンツを持つ人間が、他の人間に
それを渡す上で媒介役となる方法で
あり、手段であると言い換えが可能
だからである。

ちょっと小難しい話になってきて
しまったので、そろそろ終わりに
しよう。
このマクルーハン、あのマネジメント
の大家にして知の巨人、社会生態学者
ピーター・F・ドラッカーにも大きな
影響を与えた人でもある。
もはや古典的な書物であるが、
『メディア論』にじっくり取り組んで
みると、温故知新的な発見が多々
ありそうな予感がするので、GWの
積読リストに追加しよう。

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ahiraga
己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。