コロナ禍に伴う同調圧力のはなし
最近、妻が仕事帰りに見かけた
光景。
人通りの多い駅前でガールズバーの
客引きをしていた若いお兄さんを、
おじいさんが叱りつけていたのだ
という。
「時期を考えろ」
というようなことを吠えてそう
なのだ。
公共交通機関では、依然として
「新型コロナウィルスの感染防止の
ために、マスクを着用頂きますよう
お願い申し上げます。」
というような放送を繰り返している。
TVをはじめとする公共放送でも、
相変わらずコロナの恐怖をあおる
ような報道が多いのが現状。
ここに来て、
感染爆発では?
第二波では?
と思わせるような感染者数の
増加報道がなされているのも
周知のとおり。
都知事選が終わるか否かという
タイミングで、100名を超え、
ついに昨日は200名超えという
話も聞こえてきた。
しかし、である。
判明した感染者のほとんどは、
「夜の街」絡みの方々で、若者
ばかりだから重篤になるリスク
も極めて低い。
しかも、PCR検査の実施件数が
やたらと伸びているがために、
発覚する件数が増えているだけ
という実態。
そもそもそのPCR検査の精度が
決して高くはないと言われる
中での話である。
それゆえ、すぐに緊急事態宣言を
再度出すという動きにはなって
いないのだ。
ここ最近の死者数にしても、
0人とか1人という数字が並んで
おり、当然ながら交通事故とか、
その他の肺炎の死者、自死などの
死因の方が圧倒的に多数となる
状況。
しかもこの蒸し暑い時期に、
未だに国民がみんな真面目に
マスクをして過ごしているという
この状況は、俄かに信じ難い。
それでも、会社で仕事している
間はマスク着用がルールとして
採用されているので、仕方なく
着用している。
公共交通機関では、先に述べた
通り放送でマスク着用をお願い
されるため、仕方なく着用。
スーパーに買い物に行ったとき
も、同じく店内放送でマスクを
着けろとか、手をアルコールで
除菌せよとか、並ぶときは間を
空けろとうるさく言われるので、
仕方なく従っている。
いわゆる、同調圧力である。
これ、やっても意味ないよね、
と思っている人も相当多く
なっていると思うのである。
でも、相手が、周囲が、どう
受け取るかを考えて、そこの
ところを慮って、あるいは一時
流行った「忖度」をして、
やらざるを得なくなっている。
1か月前くらいであるが、
ランニングをしていたときの
こと。
コロナ最盛期に数回マスク着用で
走ってみたが、さすがに苦しい
のと、人とすれ違う際などに
遠回りするとか、タオルを口に
当てるなどすれば問題ないので、
今はもうマスクを持ってすら
行かない。
そんな私が遠くから近づいてくる
のを認めた老齢のご婦人が、
すれ違う少し前から、まるで
私に殴り掛かられるのをよける
かのようなそぶりで道の脇に
うずくまったのである。
これは色々な意味でショック
だった。
この人はどこまで恐怖に怯えて
いるのかと気の毒になった。
それ以来、すれ違う際の距離の
取り方をより一層気を付ける
ようになった。
社会というのは、同じ共同幻想の
下に生きている人たちの集まり
である。
みんながそれを「お金」と決めた
から、紙幣や貨幣が交換価値を
持つという話と一緒で、
みんながそれを「危険」と信じた
から、コロナの感染を防止する
ためのあらゆる施策が正当化され
ている、そんな感じがする。
その「お金」って、実は危ないん
じゃない?という人は、実物の
「金」に逃げたりして、そういう
人の数がどこかで限界を超えると
デフォルトになる。
その「危険」って、実は嘘で、
本当は安全なんじゃない?という
人が限界値を超えないと、今の
息苦しい状況が続くのだろう。
在宅勤務が常態になったことなど
のポジティブな側面はもちろん
有り難く噛みしめつつ、
今の「同調圧力」的な社会の空気
が、澄んだ空気へと入れ替わって
くれることを、切に願う。