マネジメントと音楽
昨日、「体系的廃棄」が主題だった
渋澤ドラッカー研究会のイベントに
参加した。
廃棄の話は、ごく簡単に要約すれば、
新しいことを始める前に、まずは
今やっていることから不要なものを
廃棄することから始めよう、という
ところに尽きる
組織も個人も、ついついあれもこれもと
欲張ってしまい、結局どれも中途半端に
なりがち。
「選択と集中」よろしく、まずは廃棄で
選択すべきもののみを残し、それらに
トコトン集中することが大切だという
ことである。
これは、「戦略」の本質とも言える。
何をするか、何を足すかではなく、
何をしないか、何を引くか。
そうすることで、自ずとやるべきことに
集中する環境が作れるわけだ。
この廃棄の話の後に、名古屋芸術大学教授の
大内孝夫さんから、ご著書であるこちらの
論旨に沿った講演があった。
この話も興味深いが、これはまた別の機会に。
更にその後、ドラッカースクールの卒業生
である、八木澤智正さんのリードによって、
打楽器セッションが行われた。
このセッション、私のように絵心どころか
音心(?)もない者にとって、一体どんな
状況が生まれるのか、一抹の不安を覚えて
いたのが正直なところ。
というのも、参加者には「何でもいいから
音のするものを持ってくるように」との
依頼が出ており、てんでばらばらになるで
あろう「楽器」の音をどうやって「音楽」に
できるのかが全くイメージできず、また
そこに自分が奏者の一人として加わっている
状況もまた想像することが困難だったのだ。
しかし、これが私にとってはカルチャー
ショックと言っていい位、衝撃的な体験と
なった。
音楽が、マネジメントに通じるという
新たな「発見」である。
セッションの冒頭、八木澤さんから、
「マネジメントとは?」
という質問に短い言葉で答えるように、
との問いが参加者に投げかけられた。
思い思いに答える参加者からは、
「実行」
「時間」
「成果」
「貢献」
といった言葉たちが、計10個ほど
集まる。
そもそも、「マネージする」とは、
「何とかして実現する」
というような意味合い。
一人ひとりが、お互いの様子を見ながら
どのようにその場に貢献するか、
それを意識しながら演奏するようにとの
指示の下、セッションは始まった。
八木澤さんが、ユニークな形状の太鼓を
お持ちになり、それを通底音として、
他の参加者が様々な楽器の音を重ねて
いく。
他にも様々な打楽器を用意くださって
いたので、私は最初にトライアングルを、
その後タンバリンや、ギロのような楽器、
カウベルなどをとっかえひっかえ、
周りの音に合わせつつ、時折自ら変化を
つけてみることも試みる。
一人ひとりは、別々の楽器を奏であって
いるにもかかわらず、お互いに「貢献」を
意識しているからか、それなりにまとまり
ある音楽になっている。
そして、各自がその場を盛り上げるという
「成果」に向かって、ひたすらやるべき
ことを「実行」するべく、集中し続ける
セッションとなっていた。
音を響かせ合うことが、こんなにも
豊かな感情を湧き上がらせるとは、
やってみるまでは分からなかった。
ブラスバンドとか、コーラスとか、
ほとんど食わず嫌いで通してきた自分が、
まさかこんなに心動かされるとは、
正直予想だにしていなかった。
似たような感情は、過去にスポーツでは
何度も味わってきた。
チームワークが上手く機能し、見事に
勝利を収めたときの快感。
たとえ勝利には届かずとも、チームの
連携がスムーズに機能し、持てる以上の
力を出し切ったときの達成感。
それらと共通する、人と人とでつながり
合いながら、「1+1=3」的な成果を
出す場に居合わせることのできる幸せ。
「音楽」は、本当に「音を楽しむ」こと
だったんだ!という思いが湧き上がって
来るのをひしひしと感じる。
音楽も、マネジメントも、
同じ目標に向き合って、
それを実現するために、
いかに各成員が貢献するかを考え、
実行する点において共通している。
そんなことを実感する、
豊かな時間であった。