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移動と定住、ポップアップとパーマネント
朝と球技が得意じゃない。
子どもたちが学校へ、大人たちが職場に向かう朝、僕は大抵布団の中にいる。ミーティングや用事がない限り、活動を始めるのは太陽が昇り切ってから。その分仕事の時間は後ろに延びて、時計の針が遅れ続ける毎日を過ごしている。
さて、僕が暮らす墨田区はとにかく行事が多い。毎週末のように公園やパブリックな場所でマルシェやステージが催されている。家でゴロゴロするのが休みの過ごし方だと思っていたから、2年前に京島に引っ越してきた時にはそのギャップに驚いた。布団でSNSを眺めているだけでも、ここ数週間や数ヶ月先の情報、まさに今行われている何かの光景が流れてくる。せっかくこんな場所にいるのだからと、たまには遅れた針を無理やり戻し、早い時間から街のイベントに顔を出そうと頑張ってみる。
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PING PONG PLATZも、そんな覗いてみたくなる活動の一つだった。移動式のピンポン台があると聞いたのはいつだったか。近所の大学や公園、はたまた高架下などに青いテーブルが現れ人が集う光景をなんとなく目にしていた。ある日自分もその輪に加わると、久々の運動すぎてラケットが勢いよく空を裂いたが、卓球なので許される気がした。次第に感覚を取り戻し良い汗をかいたが、むしろコートの外にこぼれた球から始まった、キッズ達との追いかけっこで体力を使い切ったのを覚えている。
そんなピンポン台が常設されるらしい。どこかでポップアップされるのではなく、商店街に専用の土地が与えられるとのこと。しかもこれまでの車輪と折りたたみ式でなく、コンクリート仕上げというではないか。これは大きな変化である。まるで移動から定住へ、狩猟から栽耕への進化に匹敵するものだ。耕した畑を中心に家や倉庫が揃えば、その先には村や集落という大きな共同体が生まれていく。移動が文化の伝播をもたらすなら、定住は文化の蓄積をもたらすものだ。墨田区で初めての「住所を持つピンポン台」は、これまでにない新たな日常の風景を育んでいた。
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中でも時おり開催された「朝ごはん会」は特筆すべき事例だろう。球技のフィールドではなく、食事を囲む場所としてピンポン台を捉える。球も食も受け入れるピンポン台の、文字通り"卓越"した可能性に満ちた催しだ。参加者が持ち寄った温かなスープや豚汁、商店街で売られるコッペパン、淹れたてのコーヒーを片手に朝のひとときを過ごす。誰かの家で朝ごはんを食べるのは相当な敷居の高さだが、ふらりと台に立ち寄ることならできるから、この場所ならではの出会いが生まれていく。ご飯だけでも、卓球だけでも問題ない。朝が苦手な僕は、ついぞ定時に間に合うことはなかったのだけれど、昼前の卓球台で交わした会話や初対面の青年とのラリーを体が覚えている。
思うに、卓球台は人が集うのにちょうど良い大きさなのだろう。"野"球や"庭"球ほどのスペースがなくとも、人がぐるりと囲み集える"卓"ならではのサイズ感。その気軽さは折りたたみ式の青い台に象徴されるが、鉄管とメタルラスで作られた定住式のコンクリート台にも、どこか仮設現場らしい軽やかさが残っていたのは見事と言うほかない。朝ごはんにも異文化交流にも、カジュアルトーナメントにも使える自在な"卓"は、日常と非日常、仮設と常設の間にある軽やかな存在として2ヶ月間を全うしていたようだ。
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朝と球技はいまだに苦手だし、冬は寒くて布団から出られない。だけど、不慣れなラケットを握りつつ、コンクリートの卓球台と隣家が生んだ天然のリバーブに耳を傾けたあの日のことは、今でも鮮明に思い出せる。きっと、あの卓を囲んだ人たちは、自分の目や耳、もしかしたら舌や手のひらでも、それぞれの思い出を刻んでいるのだろう。これを読んだあなたも、いつかは布団をえいやとめくり、近所の「卓」に向かってみてほしい。願わくは、夜型人間のための卓が生まれることも祈りながら──。
寄稿者 淺野義弘
1992年長野生まれ。大学で3Dプリンターと出会いものづくりの楽しさを知る。研究員としての勤務を経て、誰でも使える工房「京島共同凸工所」を営みながら、デジタルテクノロジー領域を中心としたライターとして活動中。
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