《アートプロジェクトPING PONG PLATZ 2024》の断片的考察プロローグ
2024年10月14日(月)午前11時半。秋晴。墨田区の京島橘通り商店街のなかほどに、通りに面して間口10メートルほどの空き地がある。その中央にシーツをかぶせたピンポン台がすえられている。二ヶ月のあいだ、出入り自由、使用自由の空間である。京島住人による実験的プロジェクトが昨年の試行錯誤を経て、お膝元商店街で再びスタートした。その場に立寄る誰もが〈プレイヤー〉(主人公)だ。
まるで野外劇場のような空間である。空き地両サイドの個人商店の壁面上方には洗濯物が翻っている。例年なら秋も深まる向島エキスポのこの季節、まだ暑さの残る強い日射しのもとで建物の日陰に腰掛けた多種多様な仲間がみまもっている。若者たちに交じって年配者の姿もある。司会者の挨拶。隣の商店の壁を背に、夕刻のヴァイオリン弾きでカフェ店主による口トランペットのファンファーレにつづけて、お直し屋主人のドラムロール。昨年の最強プレイヤーの靴屋で美術作家が自作のトロフィーをかかげた。白いシーツが中空に舞い、卓球台のお披露目。さあ舞台はととのった。この場所がどういう風に利用され維持されていくのか。町の日常にどのように溶け込めるのか。通りを行きかう人びとの暮しの一部となれるのか。これから二ヶ月の時間と経験が答えを出す。
はじめに書き手について記しておく。京島住人。元編集者。都内の谷中から移り住んで3年。本プロジェクトが立ち上がるのを隣人として、観察者の位置から見まもる。おもなプロジェクトメンバーの知人でもある。
考察1 遊び・自由
ピンポンで空間と戯れる。
けん玉で重力と戯れる。
考察2 空き地
第二次世界大戦末期、日本の都市部は米軍機による無差別爆撃を受けた。広島・長崎への原子爆弾投下、沖縄全土の焦土化(日米軍双方による)、東京、大阪などの都市市街地への空襲、市民殺傷目的の焼夷弾(ナパーム弾)の絨毯爆撃により、夥しい数にのぼる市民が殺され家々が焼かれた。その結果、焼跡に広大な空き地が出現、家々が再建されるまで戦後しばらくは、空き地、原っぱが市街地のいたる所に残っていた。(筆者幼少期の記憶)
東京の下町は、空襲(1945年)でほとんどが焼け野原となったが、京島一帯は焼け残った。関東大震災(1923年)の火災で焼けて立て直された木造家屋、それも工場労働者や職人たちの長屋が密集して、あいだを細い路地が毛細血管のように走る町並がそのまま残った。空き地は、建物が取り壊されて立て直されるまでのつかのまに出現する。
考察3 緑地
環境保全を考えるとき、植物生態学にコリドー(回廊)Corridorという概念がある。不連続に点在する小緑地の存在が、小動物(鳥類・昆虫など)の生態系にとって重要な意味を持つ。示唆的イメージである。(小野有五著『戦う地理学』古今書院)
京島は緑が極端に少ない地域だ。密集住宅にはほとんど庭がない。江戸期以来、庶民は露地の裏店の植木鉢に象徴される軒先園芸にかろうじて自然をとりこんできた。だが都市部での手近な自然――緑地・公園の少なさが屋外スポーツを気軽に楽しむ機会を奪う。
考察4 京島
低湿地――隅田川・荒川の中洲/東京都心の外縁地域/観光地浅草・上野に隣接/スカイツリーの建つ押上・向島地区の外縁地域(曳舟・京島・八広)
奇跡的に残った菱形の地域――工場労働者と職人の居住地。零細家内工業。低層・木造長屋。
コンパクト――明るい迷路。容易に脱出可能――風通しのよい迷宮。
考察4 共同体
根を下ろす。/旅する音楽家と前衛美術家と舞踏家。
構成メンバーの〈構え・生活思想〉――地つき住人との関係/世代(年代)間の関係/向島から京島へ――20年間の時代の推移/世代交代とメンバー交代。
考察5 日常・市民・個人
ミシェル・ド・セルトー『日常的実践のポイエティーク(創造・発明)』 山田登世子訳、筑摩学芸文庫。Michelde Certeau, “L’ Invention de Quotidien,1:Arts de faire” 1980.
[煩瑣に亘るので、内容の紹介は別の機会にゆずる。おもなプレイヤーの役割・性格を哲学的に論じていて、大変参考になる]
考察6 風通し
地方からの流入者の町東京。その都市部の外縁地域として工業地域から住宅地へ。都市開発から取り残されたデルタの中の孤島――旧来の閉鎖性の痕跡。一方、国際性が共存する。多様な国籍・民族――日常の緊密な交流が形成されてもいる。/二つのベクトルの共存。しかし住民の間で、ひとたび軋轢・緊張が強まると、潜在化していた偏見(内面化・希薄化)が 顕在化する危険を常に孕む。
そして今、浅草、スカイツリーなど観光名所に近接する穴場として、オーヴァーツーリズムの波に洗われている。増殖する民泊。割安感のあった住居賃貸料も上昇の一途。
考察7 理念
発想は単純――こうだったらいいな――近くの空地で気軽に卓球ができたらいいな。ドイツのベルリンで見たように。音楽・美術系のけん玉カフェ店主――一人の頭に浮かんだイメージから。行動のベクトル――磁場の形成―→「祭り」と日常(ハレとケ)。日常生活の実践。
横断的思考。並行的思考も忘れずに。垂直的思考に対して常に自覚的・戦略的であること。つねに自由で開かれていること。自発的であること。個人の暮らしを尊重すべきこと。
自立的市民、自立的個人であること。
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ある日のプラッツの光景――11月21日午後5時・日没後。暗がりに人声が。目をこらすと学生服姿の少年が三人、卓球をしている。審判員の位置で一人が小さな灯りを点していた。少しあとにまた通りかかると、灯りはいま、空地の端の境界ブロックの上に移動して高々と掲げられていた。まるで〈自由の女神〉……いや、〈自由の少年〉か。場所と道具さえあれば、暗闇のなかでだって遊べるのだ。少年達の声が楽しげに響いた。
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ある日のプラッツの光景―― 12月5日午後3時30分。路地を抜けて商店街の空地の前を通る。子供達がたくさんいる。小柄で、小学校低学年とおぼしき男女八人、いずれも、同じような厚手の短コートを着ている。台をはさんでラケットを握る数名を囲んで球の行方を熱心に追っている。一目見ての印象は、子雀たちのピンポン大会。老婦人が一人、通りから子供達をのぞきこんでいた。引率者だったのか。15分後にまた通りかかると、子供は三人になっていて、ラケットで打ち合っていた。あとになって、話しかけてみればよかったと後悔した。
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2024年12月8日(日)
最終日。晴れの日がつづき、寒風が吹いている。
空地の中央にはコンクリート製の卓球台がどっしりおさまり、まわりの地面は踏み固められている。この二ヶ月の経験を、どのように生かしていけるのか。誰もが自由に遊ぶことのできる場所が、商店街の一角にあることの素晴らしさ――そのことを、あらためてかみしめている。
2024.10.15~12.08 元編集者K・小南晴彰記す。