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『マリッジ・ストーリー』誰かのためには生きられない

唐突だが、私の両親は仲が良くなかった。
幼少期、単身赴任をしていた父が家に帰ってくる度に夫婦で喧嘩していた。
私にとっての父の帰宅は、山から鬼が降りてくるようなものであった。

なんで喧嘩しに帰ってくるのであろうか。
帰ってこなければいいのに。

子供の教育方針を中心に喧嘩が絶えなかった両親を持ち、家庭内には淀んだ空気と共に「離婚」の二文字が常に浮かんでいた。

「マリッジ・ストーリー」上映日:2019年11月29日 / 製作国:アメリカ / 上映時間:136分
離婚プロセスに戸惑い、子の親としてのこれからに苦悩する夫婦の姿を、アカデミー賞候補監督ノア・バームバックが、 リアルで辛辣ながら思いやりあふれる視点で描く。

社会的に押しつけられる役割

それなりの年齢になると家庭や職場などで結婚の言葉をチラつかせられる。
妻として母として女性として、同様に夫として父として男性として、役割を社会から押しつけられることは、多様性が叫ばれている現代においても、まだまだなくなってはいない。

「マリッジ・ストーリー」でも母親として求められるイメージに関して、女性弁護士が怒りを交えながら依頼者であるニコールにこう言う。

You have to be a perfect, and Charlie can be a fuck up and it dosen't matter.

父親は不完全でもいい。だが、母親は社会的にも、宗教的にも完璧を求められる。
なぜなら、聖母マリアのイメージを強いられるから。常に高いレベルを求められる。

娘、妻、母であることもニコールの要素の一つだが、それが全てではない。
「らしさ」の押し付けは、いつの間にか「私」を殺し始めている。

あなたのためは、本当にあなたのためなのか

『マリッジストーリー」でニコールは、
初めて弁護士の前で離婚理由を語った際、こう言った。

I didn't belong to myself.

当初は映画女優として有名で、舞台にもニコール目当てで人が集まった。
劇団が有名になり、夫のチャーリーが賞賛されるようになると、ニコールの存在感はなくなっていく。

私は夫の活力にエサを与えてるだけで、もはや自分自身の好みさえ分からなくなっていると。

父親は外で働き、家事は行わず、
母親は専業主婦で、家事を全て任される。
都市化と核家族化の過程で、サラリーマン家庭の多くは、この形をとっていた。
私の家庭もそうだった。

私の母は常に父のため、子供のために生きてきたと言う。そしてそれは一つの事実であると思う反面、疑問にも思う。
本当にそれは父や子供のためだったのだろうか。

主体的に生きること

発展途上国で無償の医療活動を行う、医師の吉岡秀人さんがテレビ番組でこう語った。

僕は僕の人生を豊かにするために生きている。だからやってる。続いてる。
だって、自分のためじゃないことなんて続くか。
親のためにとか、子どものために苦労なんかし続けることはできへんで。
でも自分のためだけに生きれんねん。人間は。苦労し続けることができるねん。

食を断ち、睡眠時間も減らして、感覚を研ぎ澄まし、一日何件も手術をこなす、その姿は神々しさすら感じるが、そう言い切ってしまう。

「マリッジ・ストーリー」でニコールは、
チャーリーと結婚した理由を生きている実感できたからと言っている。
彼女は自分のために結婚をした。
そして、自分のために生きることを改めて思い出し、離婚するのだ。

それでも離婚しなかった人たち

先日、私の父は妻に先立たれた男性のドキュメンタリーを見ながら、隣にいる母に唐突に「ありがとう」と言ったという。

「ありがとう」も「ごめん」も言えない人だったが、「ありがとう」は言えるようになったらしい。謝るのは未だにできないらしいが。

人はそうそう変われない。
ただ変わることもある。

続けることがいいとも思わない。
ただ続けることで得るものもあり、そして同じように失うものもある。

人生にたらればはなく、常に自分自身で選択し、行動しなければならない。
失敗も成功も不幸も幸福も、自ら引き受けることこそ生きるということなのだろう。

そんなことを思った映画。
「マリッジ・ストーリー」

・pines制作動画紹介

下記動画は私の友人3人が「マリッジ・ストーリー」をもとに感想を話す内容になっています。お時間ある時、のんびり見ていただければ幸いです。

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