美しさという呪いの話
美人な親友の話
私にはとても美人な親友がいる。
目鼻立ちはすらっとしていて、綺麗な二重を持っていて、手足はモデルのように細くて長い。髪は豊かで長く、ウェーブがかかっている。
美容にもきちんと気を遣っているから、肌も綺麗で化粧にも詳しい。
性格はサバサバとしていて、親しい人には甘え上手で、ノリもよく愛想も常識も持ち合わせている。友人を大事にできる、優しい人。
これはそんな10年来の大切な友人を、初めて「憎い」と思った時の話だ。
私はといえばやや小太りの丸顔だった。
奥二重で目つきが悪く、顔もそこまで可愛くない。
見た目レベルは中の下、が多分いいところだ。
中学のときにゲームにハマって以来、そこからずっと158cmの55キロを貫いてきた。痩せようと思っても飽き性だったせいか長く続かず、精々1〜2キロ痩せてラッキー! レベルだった。
親友とは高校の時に知り合った。
たまたま席が隣になって、オタク気質な彼女と私は好きなゲームの話で盛り上がった。所謂陽キャのオタクな親友と、陰キャのオタクである私、見た目も全部真逆だったけど、それでも仲良くなるのにそこまで時間はかからなかった。
当時親友はバトン部に属していた。私は剣道部に属していて、帰りが同じになるときはなるべく一緒に帰るようになった。その時はまだ、そこまでめちゃくちゃ仲良かったという訳ではなかった。私は私で、いつも一緒にいるグループがあったし、親友は親友で数人の決まった女の子たちと仲良くしていた。
クラスの中で、イツメンとは違う仲良しの子、というのが我々だった。
それでもたまにお互いの都合があえば一緒に遊んだ。イオンに行ったり、都内に出てみたり、そんな感じでいわゆるJKらしい遊びをよくした。親友はとても可愛かったのだが少し変わっていて、私は彼女のそんなところが好きだった。
「私たち、似てるね」
私たちはよくそんな話をした。
あらゆる物事に対する価値観が、私たちは似ていた。
就職について。女性であるということについて。家族について。兄弟や姉妹について。恋愛について。
好きなタイプも違うのに、それでも話があった。根本的なものが似ていたんだろう。
自分がこうだと思ったことに対し「わかる! わかる!」となることが多かった。話さなくても互いの考えていることがわかったし、どんな答えを相手が求めているかもわかった。
だから、一緒にいて居心地が良かった。余計な気を使う事もなかった。
私たちは確かに似た者同士だった。
ただ、私は普通の顔で、彼女が特別美人だという事を除いて。
高校二年生の時の話
高校二年生の時に、とある男の子Aと知り合った。
私は隠れオタクだったから、仲良くなる子もオタクな子が多かった。Aも同じような感じでちょっとむさくて……でも、とてもいい子だった。
少し変わったところもあったけど、私にとっては初めてのちゃんとした男友達だった。
初めてのと表記したのには理由がある。
私は少しだけ人より胸が大きかった。
中学の時にそのせいで男友達にからかわれ、性的な目でみられることに嫌悪感を感じていた。だから、同じクラスの男の子たちが苦手だった。
オトナの男性も、怖かった。人の目線が下に行くのが嫌で嫌でたまらなかった。でも、その男の子は他と違った。
一度も私を性的な目でみなかった。私を「私」として親しく接してくれた。そこが好きだった。勿論、友人として。
だからこそ親友にAを紹介した。きっと彼女ならAと仲良くなるだろうと思った。
親友も中学時代からその持ち前の可愛さで苦労してきたらしくて、私同様に男の人が苦手だった。だからきっと、Aも私たちにとって大事な男友達になるだろうと思った。
私の勘は大当たりだった。親友とAはとても仲良くなった。
次第に私と、Aと親友。三人でつるむ事も少なくなくなった。
そうして高校三年生になった時、同じクラスになった私たち三人ともう一人の男の子、Bと仲良くなった。
私たちは四人でよく一緒にいるようになった。Bは私と同じ部活の子で、すらっとした外見に反していい意味で変わった性格をしていた。Aと同じように、私たちを女扱いをしなかった。一人の人間としてみてくれたのだ。だから、私たちもすぐに彼らを好きになった。
昔は、男女の友情なんて成立しないと思っていたのに。
彼らとともにいる時に初めて、生物学的に全く異なる「おとこ」と「おんな」でも友情は成立するのかもしれないと思った。
AとBが親友を好きなのかもしれないと気づいたのは、そんな時だった。
男女の友情の話
男女の友情が成立するのはどんな時だろう。
よく一緒に遊びに行く時?
相談に乗ったり、乗ってあげたりする時?
気を使わずにいられる間柄になった時?
お互いに何もせずベッドで横になれる時?
他意なくハグができる時?
これらも全部そうかもしれない。
でも、私が思う男女の友情が成立する時、それは。
お互いが性別を抜いた上で、一人の人間としてみられる時。
つまり、恋愛感情を持ったらもう、友達ではいられない。
私は怖くなった。
これまでせっかく築き上げてきた「友情」が壊れてしまう。
今思えば、私は全てに対して嫉妬をしていたのだと思う。
親友を取られてしまうと思った。
唯一の男友達がいなくなってしまうと思った。
もしも彼らが自分の気持ちを彼女に伝えてしまったら。
全部、私の側から消えてしまうと思った。
だって、結局のところ、いつも選ばれるのは「可愛い人」だ。
私が男の人に性的感情を持たれて、恋愛感情を持たれないのは。親友の意思に関係なく勝手に恋愛感情を持たれるのは。
親友が、可愛いからだ。
親友に嫉妬するなんて馬鹿げている。だって親友はいつも言っていた。「私たちは、ずっと友達でいたい」と。その言葉に嘘がなかった事くらい、彼女の一番近くにいたのは私なのだから、よくよくわかっていた。
結果的にいえば、男友達たちはその気持ちに蓋をしたようだった。
私がハラハラしている側で、彼らは何事もなかったかのように我々に接してくれた。
彼らがそういうことにするのであればと、私も何もなかったことにした。
そうして幾年かの年月が経って、私たちは大学生になった。
大学生になった話
頭の良かった親友はそれなりの大学に行った。私は女子大に行って、学びたかったことを学んだ。
親友と、離れて色々な人と接するようになって、私は少しだけ気持ちが楽になっていた。
私たちはもしかしたら近すぎただけなのかもしれない。
それだけだったのかもしれない。
どんなに仲の良い人でも、ある程度の距離感は必要だと学んだ瞬間だった。
それに、距離を取ると言っても、月に一度は親友と会っていた。
大学生になって、お酒の味もお化粧も覚えた彼女はドンドンと垢抜けていった。傍から見ても、綺麗になったなと気付くくらいには。
彼氏が出来たと嬉しそうに話す親友は美しかった。私は私で、多分また、彼女が1人の人に縛られたことに、安堵していた。
ある時、私にも彼氏が出来た。
3個上のサークルの先輩で、とても優しい人だった。
こんな不細工な私のことを、「可愛い」と言ってくれた。
最初のうちは全く信じられなくて、でも何度も何度も言われるから「この人の為にも自分のためにも可愛くいよう」と思うようになった。
当然、親友にも相談をしてお化粧やスキンケアを教えてもらった。
「可愛いね」
その言葉に、浮かれた。
優しい彼氏に私は溺れた。彼の甘い言葉も、優しい態度も、私を好きだと言うその言霊も、全部が全部、私にとっては麻薬のようなものだった。
自己肯定感の低い私は、与えられる「肯定感」にドンドンと貪欲になっていった。もっと、もっと、もっと、と欲しがっていた。愛に飢えた子供のように、これまで誰も私のことを見てくれなかったのだからと、愛を求めた。
幸せだったと思う。
私は彼から肯定感を貰い、私は彼に愛を返した。お互いに利益があった。
けれど、そんな私たちの関係に歪みができたのは親友を彼に紹介したときだった。
親友に彼氏を紹介した話
3人で飲みに行った。
お酒も食事も、話も進む中でふと、「美人だね」と彼が親友に言った。
親友はにっこりと笑って「ありがとう」と答えた。
私はそれを見ていた。見ているだけだった。
果たして言葉としての「可愛い」と「美人」に、なんの違いがあるのだろうか。
綺麗で可愛い親友は、彼に色目を使った訳でもない。
彼はどこか溶けた瞳で親友に声をかけただけだ。
本当にそれだけだ。
けれど、それを見ていた私の中でガラガラと何かが崩れる音がした。
冷めたのは私の想いだけだった。
驚く程急に、彼に対しての「好き」が消えた。
帰り道、繋いでいた手のひらからすっと力を抜けば、あまりにも簡単に私の手のひらが落ちた。
私ばかりが強く手を握っていたのだ、とその時になってやっと気付いた。「可愛い」の麻薬は、私だけに与えていた訳では無いのだと、彼の目を真っ直ぐに見てから、やっと理解した。
「別れよう」と言った。
驚いた彼は、理由を求めた。私は「私が好きじゃなくなったの」と笑った。彼は傷付いた顔をして、「少し時間を置いたらきっと気持ちは変わるよ」と言った。とりあえずそれに頷いて、私はその場を後にした。
数日間、彼からは長いメッセージが送られてきた。私はそれに丁寧に返した。
「ごめんなさい」「もう、好きになれない」と言った。
終わりを迎えたその恋の責任は、私一人にあった。
酷く勝手に、自己満足で彼を傷つけてしまった。
本当のことを一度も言えずに、彼を手放した。
怖かったから、というその理由だけで。
親友にも何も言わずに、私はぽっかりと空いたその穴を、ひとり空虚に見つめていた。
己に足りなかったものはなんだろかとふと考えた。
努力の話
そしたらすぐに答えがわかった。
努力と自信。それだけだと。
誰かを羨み、誰かを憎む前に、自分を変えたいと思った。
人から貰う「綺麗」と「可愛い」を、素直に受け取れるような人になりたかった。
そこから私はダイエットをした。美容にもさらにお金をかけた。お化粧やオシャレの知識を増やした。
綺麗な人は、ただ綺麗なだけではない。血のにじむような努力をして、きっと今を手に入れてるんだ。
努力だけなら私もできる。そうでしょう?
だから私も、美人と同じように血がにじむような努力をしよう。
何もせず人に嫉妬するような人間になってはならない。
頑張ろう、頑張ってみよう。
そうしたらきっと、私は私のことを好きになれるはずだから。
半年かけて体重を8キロ落とした。
美容に金をかけて肌を綺麗にした。美容整形に興味を持って、顔の黒子もとった。10万もした。それでも韓国アイドルのようなキレイな肌になった。美白ケアも、眉毛も、髪も、服も、人から好かれるような見た目をして、ネイルをして、香水も選んで、小物もほんの少しだけブランドものの良いものを買って……。
二重にしたくて、20万をかけて二重にした。医療脱毛もした。
そうして身体に沢山の金をかけた。
私は、他の人と同じようになりたかった。
他の人よりももっと美しい人になりたかった。
「美」を金で買った。
給料をつぎ込むようになって、食に対して金をかけるより、自分に投資をする方が何倍も有意義だと気付いた。
たくさん努力をしたからか、ナンパもされるようになった。色んな人から男女問わずに声をかけられるようにもなった。
昔よりももっと多くの「好意」をもらえるようになった。
体目当ての人も何人かいたけれど、それでも私はいいと思っていた。
愛に飢えていた私は、誰でもいいから、一度限りでもいいからと愛を求めた。
だからこそ、彼氏を作っても長続きしなかった。
ずっと自信だけが足りなかった。
人から貰える「可愛いね」がどうしても信じられなかった。
鏡に映る自分は確かに昔よりも随分と垢抜けて、綺麗になっていたはずだった。そのはずなのに、自分の真下の地面だけがずっとずっとグラグラ揺れていた。
不安定な足場の上で、私は不安そうな顔で鏡をみつめていた。
美人な親友は、変わりゆく私に何も言わなかった。
久しぶりに彼女に会えば、相も変わらず美しい彼女は多少美の知識を得た私と美容の話をした。
彼女の身長は165cmあった。体重は45キロほど。
私は158cmで体重は47キロほど。約10cmの差があるのに、体重は私の方が重い。
美容体重のはずなのに、美しい彼女にはどうしても適わない。
「最近太っちゃってさあ」と、ふと親友が言った。
「もう少し痩せようと思ってるんだ」
そう笑う彼女は痩せる必要なんてないくらい美しい。
どうしてだろう。
その言葉を聞いて、自分の中で何かが壊れるような音がした。
私は、血のにじむような努力をして、大好きな甘いものも食事も我慢してストイックに筋トレに励んだ。そうして、やっとのことで体重を落とした。
私はそこまでしないと痩せられなかった。
それなのに、と私は彼女の顔を見上げた。
いつもと変わらない美しい親友。
そんな、美しくて可愛い彼女を、初めて「憎い」と思った。
悪意のない悪意は、時として人の心を蝕む。
私は決して清廉潔白な人間ではなかった。どちらかというと傷つきたくないから、相手に興味を持たない人間だった。どうでもよかったのだ、人がどう思うか、どう考えるかなんて。
だから人を嫌うことはなかった。憎むこともしなかった。
それなのに、生まれて初めて憎悪が心を占めた。
「痩せたいんだよね」といった彼女に対して、私は「そうなんだ」と、笑った。そのまま何事もなく、話を続けた。
痛いほどに心臓が鳴っていた。コロナの影響でマスクをしていて本当に良かったと思った。口元が笑っていなくても、目だけ笑っていればいいのだ。無理やり目を細めて、相槌を打った。そうしてその場を取り繕った。
親友が私に対して特別な悪意なく言ったその言葉。
その言葉を耳にした瞬間、私の心が勝手に蝕まれていく音を、聞いた。
醜い自分の心を隠すように、私は拳を握りしめて目尻に力を込める。相槌を打った私を、彼女はなんの疑いもなく見つめてくる。
彫りの深い顔立ち。綺麗な二重に、陶器のような柔くて白い肌。傷ひとつないその頬はかすかに赤らみ、切れの長い瞳はいつも澄んでいる。笑えば少しだけえくぼができる。美容整形なんてしなくても、綺麗なその顔。
嗚呼、なんて美しい親友だろう。
そもそも彼女は自身の美しさにあぐらをかかずに努力をたくさん重ねた人だ。
彼女が頑張ってきた数年を知っている。
私は、貴女を知っている。
それなのに、貴女は私を知らない。
一生貴女には、適わないと。
たった今、理解してしまった私を貴女だけは知らない。
そうして、醜い嫉妬の炎に身を焦がしながら、私はまた笑うのだろうと思った。
「美しい」という呪いの話
どこまで美しさを追求すれば、私のような人間は美しい人に追いつくのだろう。
「あるがままの美しさが一番美しいのだ」と、誰かが言った。
私は、その言葉を聞く度にひどくアホらしくなるのだ。
努力を重ねたところで、所詮は素の美しさには適わない。
どんなに整形しようが、私は彼女に届かない。
美しく、可愛い彼女には、追いつけない。
家に帰って、私はマスクをとって自分の顔を見つめた。鏡を見つめ返す自分は、恐ろしい程に表情が抜け落ちていた。
野暮ったい一重を二重にした。イエベだからとアイメイクはブラウンで、少し目の下には涙袋を作って立体的に。眉は釣り上げた方が私には似合う。アイラインは目尻だけ上げて。笑うと優しくも色気のある女性になれるように。
ハイライトは自然に。透明感のある肌には血色のいいチークを。マスクで顔は隠れるけれど、それでもリップはいい物をつけたかった。私に似合うのは、ブラウンレッドのMACの色。
ぼろりと落ちた大粒の涙が、頬を伝って顎に流れる。洗面台を強く掴んだ右手の甲にボタボタと粒が落ちゆく。
私は無表情のまま真っ直ぐに自分をみつめていた。いっそのこと、ナイフで顔をグチャグチャにしてしまいたくなった。そんな衝動をなんとか抑え、私は自分の顔を見つめ返した。
「可愛い」は呪いだ。
「美しい」は心を縛り付ける。
この世にはもっともっとと「美しさ」を望む女性たちがたくさんいる。
彼女たちは際限なく美を求める。私も同じだ。
「整形」という行為は、ここ日本では未だタブー視されている。
親からもらった顔にメスを入れるなんて、と否定的な声も多い。
元の方が良かっただなんて、血も涙もないような声もある。
スキージャンプ選手の高梨沙羅さんに整形疑惑が上がったときも、日本は案の定批判の嵐だった。
果たして彼女が本当に整形したのかどうかなんて、ただの一般人である私はわからない。でも、最近の彼女をみていると、とても美しい人だな、とは思う。たとえ整形したとしても、何が悪いんだろう。本当に批判している人を見ると、「余計なお世話」だと心から思う。
「美しい」を求めて何が悪い。
それの何が悪いんだ。
私たちは誰かのために美しくあるんじゃない。
自分のために美しくありたいだけだ。
可愛くて美しい自分でありたいから。だから大金をはたいてまで、美を追求する。それの何が悪い。コバエのようなその声を聞いていると、本当に全て叩きたくなる。
私は、鏡の中で歪に笑う。
「可愛い」呪いにかかることを選んだのは私だ。
「美しい」に縛り付けられることを選んだのも私だ。
だから、私は悔やむことはしない。美しい彼女に敵わずとも。親友を憎んだとしても。私が本当に認める必要があるのは、私自身だから。いつか、このいびつな笑みが、真のものになるときがくるのだろう。その時を願って、私はまた今日も笑う。