葛藤と共犯者

私は、芸術家は幸せになってはいけないという類いの呪いと戦っている。

なぜなら人は無条件で幸せになって良いし、そもそも私達は幸せであることを気付く事が人生だと思っているからだ。

そしてその人生にある一つ一つの幸せに気付く事が出来たなら、
私達は日常をどれだけ幸福に過ごすことが出来るだろう。

幸せは人間の権利ではなく、義務なのだ。

幸せになる為にすることは何もない。
むしろ手を止めて、今あるものに目を向けるだけで幸せではないか。

しかし芸術家として、幸福感に包まれ、手を動かさなくなれば作品は生まれず
芸術家としての人権はない。

それはそれで良いだろうと思う反面、そうだとしたらなぜ自分は美術を得意とした人物として生まれたのだろうと思う。

人には使命があると思っていた。
それは自分の情熱や得意な事を掘り下げていけば自然に出てくるものだろうと思っていた。

私の場合その先にあったものが美術だった。


私は嘘がつけないのだ、作り笑顔が詰め込まれた会社でこのまま働くのは限界だろうう。

私は何が本当はしたいのだろう?お金の為、美術の為、やり甲斐の為、
一旦全て捨てたとしたら私は本当は何がしたいのだろう。

このノートには心の独り言をこれから書いていこうと思う。

友達にならないと知れない事、または友達になっても知れない事が書かれるだろう。

あなたはこれを読んでいる時は、私の良き友、または共犯者なのだ。

どうぞよろしく。

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