秘書は意思を持つべきか
とても難しく、微妙な論点だと思います。
この論点にぶち当たったのはスケジュール調整での一コマ。私は、部門が然るべき説明を社長に上げるべきと思ったのですが、スケジュールをメインでみているもう一人の秘書はその必要はないと判断しました。
秘書は要求のあった予定をただ調整するだけでなく、要不要の判断まで社長に代わってその機能を持つべきか。
すべての依頼を受けていては崩壊するのは事実だと思いますが、どこまで受けてどこまで受けないか。社長に判断を仰ぐのが順当かもしれませんが、それまた、すべて社長に聞いていてはきりがない。となると、機械的にできない以上、実質その判断は秘書が持たざるを得ないのかもしれません。
ただ、ここはかなりハイリスクな判断を秘書が握っていると思います。そしてその秘書はスケジュールを入れる入れないの判断をするほど情報を持っていないこともあります。
さらに、秘書も人間。当然、接していて合う人合わない人がおり、合わない人からの依頼は軽視される、ということも、(プロフェッショナルでない行為ではありますが)存在します。それは本人が意識してなくても自然と話し方に出てきます。
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社長との付合いが長ければ、長いほど、社長のことは理解しはじめ、社長の代役として意思を持つことが多くなってくると思います。社長に愛着も沸くでしょう。社長にありがたられたい、と思うのは当然の心理です。マズローも4段目に承認欲求を定義しました。そうなると、秘書は社長のために、「毎回こう言っているから、こうだろう」、「この手の物はめんどくさがるから、先にNoと言っておこう」という判断を取り始めます。
これは社長「個人」からしたら良いことかもしれません。面倒な確認がなくなるので。一方で、組織としては同でしょう?本来、面倒でも理解しておかなければならないことが確認されず、「もうそれでいいよ」ですすんでしまう。もしくは秘書で何かしらの判断がされてアポがとれぬまま、確認のされぬまま進んでしまう。果たしてそれは組織として健全なのでしょうか。
社長秘書は誰のために働くか?という論点にもつながります。
秘書は社長のために、社長が心地よく仕事をすることを補佐する?いやいや、会社のためであれば社長に嫌われても(言い過ぎです、嫌われたら秘書は務まりません)、組織のために調整する?
※組織のための調整は結局は社長のためなのですが。
頭の中を整理せずだらだらと書いてしまいました。感じたことは、秘書も客観的な判断をしなければ、組織としての健全性を損なうリスクがある、というところでしょうか。
その客観性を保つためにも適切なローテーションを回す必要はあると思います。