十二月大歌舞伎 二部 加賀鳶/鷺娘 感想
はじめに
普段歌舞伎をあまり見ない。なぜなら歌舞伎があまり好きではない。そして金が無い。何故歌舞伎が好きではないかについて書くと長い為また機会があれば。
今回は知人にチケットを貰ったため、1階A席12列35番で見ることができた。いつもは最安の3階席でクソみたいな大向こうに腹を立てながら見ている。1階は素晴らしい。3階ほど酷い大向こうが気にならない。
と大向こうは一旦置いておいて、そもそも見る機会が少ない故見当違いの感想があるに違いない。その辺はごめんなさい。教えてください。
以下は具体的な感想。
一、盲長屋梅加賀鳶
序幕 本郷通町木戸前の場
花道にズラっと並んで1人づつ名乗りを上げて行く場面、獅童の声が小さすぎて三味線に負けていて殆ど聞き取れない。図体がでかいなら腹から声出せ。
左近についても同様。 彦三郎と精四郎は良かった。特に彦三郎。鳶の威勢の良さ男っぷりがよく出ていた。
しかしながら、ロクに七五調が出来ていない奴も居た。どうなっているんだ。
そもそも火消しなんというものは、轟々と音を立てて燃える家屋やその周りををぶっ壊して崩す事が仕事なのですから、声はうるさい位デカいはず。
花道にズラっと並んでいるにしては伝わってくる迫力がない。
見掛け倒し。
舞台に移って松緑(梅吉)が出て来て鳶たちと揉める、決め台詞の、「そんなら俺を殺してゆけ」の場面。
鳶の頭が啖呵を切る様な場面だが、あまりに弱々しく言いゆっくり胡坐をかく。拍子抜けで笑えてしまいました。
そもそも、私は松緑の舌足らず(オダウエダ植田の様な)かつ、もったりした喋り方台詞回しが大嫌いなのもあるが、今回もシリアスな場面で魅力を感じなかった。
コミカルな場面も単調で想像できる程度の動きで面白さもない。
勘九郎の松蔵は良かった。 鳶の頭の威勢、男っぷりや貫禄、江戸弁など、周りの下っ端に比べ、頭は違うなと器の大きさを感じさせてくれる。
終始松蔵の輪郭がはっきりしており話に違和感がなかった。
そんな勘九郎の松蔵が松緑の梅吉の「殺して行け」の啖呵に折れて話が進むが、松蔵が折れる程の圧や勢い覚悟が梅吉から感じられなかった。
そのせいで頭同士の器に釣り合いが取れておらず物凄く違和感がある。梅吉の格が低過ぎる。この程度の啖呵で折れる松蔵も男が下がる。
少し戻るが、鳶の下っ端共が声を揃えて台詞を言う所が何ヶ所かあったが、1箇所もピッタリ合ってなくて笑えてしまった。
また、花道からはけていく際に、台詞の無い下っ端が順番に鳶口をクルクル回して持ち方を変えるが、動きが統一されておらず綺麗に出来ている人、たどたどしい人、周りのリズムに合わせてない人などいて、具体的な名前は分からないが、売れてない奴は了見が悪い。 ある程度揃っていれば締まって序幕が終わったのにそこに気が付かない。
松緑は序幕のみの梅吉と二幕以降の道玄の二役。鳶の頭で男気と貫録のある松蔵とモデルの村井長庵ほどの大悪党でないにしろ、人を殺め身内を売り金を強請ろうとする悪党の道玄、この二役をこなしその対比で力量を見せなければならないにもかかわらず。松蔵はへなちょこ、道玄は頭の悪いチンピラと一切筋にそぐわない散々な出来。呆れる外ない。
二幕 御茶の水土手際の場
咲十郎の冒頭、説明調の台詞の声が小さい。 説明なのは聞けばわかるから大きく、その後の疝(せんき)や痛みは動きがあるから小さくても良いのに、はなから病弱をやろうとして意図が伝わりにくい。
酷かったのは道玄が施術の途中、懐の金に気が付く場面。
金に気づいた瞬間に大きく驚くのが凄くわざとらしく、みっともない。ためらいなく人を殺し金を盗む様な悪人が懐の金を見つけて大きく驚き態度を一変させる様な事は無い。子供向けの演劇みたいだ。
弱っている百姓を殺すのに時間はかからないので、殺しの場面があまり冗長にならないのは良かったが、偶然通りすがった松蔵から道玄がこっそり逃げてゆく際に按摩笛を吹き盲をアピールする際の顔、所作がわざとらしい。
御茶ノ水の土手で暗いのだから変なアピールをする必要がない。
三幕 第一場 菊坂道玄借家の場
盲の夫婦が喧嘩をするくだりは本編にまるで関わりがなく盲の容姿を揶揄するくすぐりは面白いものの、必要性を感じない。笑いならほかの場面で取れる。
「そうやってヤキモチを焼いているが、お前さんは目がまるで見えないからそう思うんだろうけれども、私は右目がかろうじて見えるから教えてあげるけどね。お前さんのおかみさんは人様に取られる様な可愛い顔はしてないよ」(意訳)
この様な、夫が浮気していると思い込みそれを落ち着けるために第三者が婦人の容姿を悪く言うと言う構図に江戸の特別な風情や情緒がある訳で無い。
「かったい(ハンセン病)」等、今は残らない当時の呼び方や差別の表現は不必要だとは思わないがそういう類のものでは無いし、本編にも関係がない。
容姿いじりに引っかかると言うよりも、意味の無い事を工夫もなく行う態度に違和感を覚えた。
お朝がやって来る所から始めればそれで済む。
戸にへばりつき中の話を聞く道玄は可笑しみがあった。
雀右衛門のお兼が良かった。 小悪党の卑しさがよく出ていた。 しかし、女按摩のお兼が盲なのかそう出ないのが終始分からなかった。
また、お兼は道玄の愛人で所詮は虎の威を借りたつもりになっている女。スケールが小さい。雀右衛門はその辺が上手かったが、松緑の道玄はこのお兼よりも遥かに小者っぽく、イキッているチンピラにしか見えない。
三幕 第二場 竹町質見世の場
最もよかった。 冒頭、番頭や手代の世間話の場面が番頭の橘太郎だけが上手く、噛み合わず変な感じ。
茶店に入れ込む小物の番頭の感じが、冒頭の世間話と、道玄の強請を値切るところに出ていて良かった。
権十郎の主人もすごく良かった。
姿勢よく堂々としていて慈悲深い大店の主人。
道玄が自作自演の手紙を読む際に火鉢に当てた手が動くのが、焦りでは無く清廉潔白が故に嘘八百を並べる道玄とお兼に呆れている様で、道玄とは貫禄がまるで違うということがひしひしと伝わってくる。後から出てくる松蔵と格が近く、貫禄のある2人の貸し借りのやり取りがストレートな言葉ではなく所作や表情でなされている事に感動した。
お朝の手紙と手習いの清書を比べる為に清書を探しに手代が奥に行くのだが、手代が清書を持って帰って来るのが早すぎる。
出ていって一やり取りも無いうちに持ってくるためギャグ漫画みたい。雰囲気が壊れた。
松蔵は終始落ち着いて、勝ち筋が見えている様に話し、道玄を詰めていく。格の違いを見せつけているようですごく良かった。
主人も露骨にホッとせず、まぁそうだろう。と言うような感じで聞いており、それもまたすごく良い。
一方で、道玄は自身の明らかな負け筋を隠す為に悪態をついているようには感じられず、カスの嘘の様なその場逃れに終始しており感情の機微が見られない。
道玄は松蔵に悪事がバレてから更に悪態をつくが、これまでと悪態の表現が同じな為薄っぺらい。悪事がバレた以上立場が無いのだからもっと苦しくなるはず。違和感がある。
同じ薄っぺらさでも、お兼は終始作った態度で強請に慣れていない浅さや、道玄と松蔵のみが知っている殺しのやり取りについていけず、置いていかれている感じが上手い具合に情けなく良かった。
大詰 第一場 元の道玄借家の場
おせつを折檻する場面が無く、縛られているおせつが横になっている状態から始まる。
折檻する場面をつけて欲しいと感じた。
強請が上手くいかない事や自身が窮地にたっているという現状を自分より弱い嫁のおせつを殴ることで逃避しているはずだか、顔や動きで焦りを表現出来るはず。
しかし、殴り終えて少しスッキリしたところから場面が始まるのはもったいない。
松緑の工夫なのか、元々そうなのか分からないのが残念。
二幕の殺しも金に気づいた時を始めとして残虐と言うよりチンピラの様な安っぽさが目立つ為、道玄という男の表現の幅が薄い。
雀右衛門のお兼が強請が失敗した怒りをぶつけられないように喋り、銚子をもって愛想よくしているのに道玄には感情の波が見られず、ここでもまた役者の力量が釣り合わない。 松緑は勘九郎にも雀右衛門にも明らかに表現で劣っている。
同心が2人を捕まえに来る場面、暗闇の中探りながら捕まえようとする為仕方がないが、緩慢。
盲なら暗いことは関係ない為動けるはずだが、お兼は盲なのか判断がつかないし、道玄は盲で無い為影響を受ける。
しかし、同心が来て焦る表現が暗闇の中では無く落ち着き払って小道具を使い逃げるのは目あきの癖に闇に慣れすぎているような感じて違和感。
大詰 第二場 加州侯表門の場
一場の後半と同じ事をしているだけなので冗長。仲間が捕まるというフリから道玄が捕まり同じ手で回避するというのは面白かった。
一方で、逃げることが冗長になり過ぎて落とし所を失い、最終的に捕まる際、道玄と道玄を捕まえた同心がほかの同心を集め、道玄の手に縄をかけるまでの動きがあまりに不自然で拍子抜け。
まさかこれで終わるのか…?と思っていたら終わってしまった。 二幕からの道玄はコミカルな動きに振りすぎている。全体を通してシリアスとコミカルでメリハリをつけて欲しかった。
特に大詰第二場は笑う程では無いコミカルな動きだけだった為冗長。
話の終りとしては残念。
捕物の最後があっけないというものは仕方の無い事だから、それから逃げるように内容をかさ増ししようとしてはいけない。同心を切り倒していく様な大立ち回りをするような筋じゃないのだからサッとやって終えてしまえばいい。
これまでの内容に客が満足していれば終わりがさっぱりしている事に引っかかることはなかろう。
一、鷺娘
学がない為舞踊についてはよく分からない・・・
それでも美しくて良かったです。
まぁ、紙吹雪で白い姿のおやまが踊れば大体のものは美しくと言ってしまえばそれまでなのですが…
そんな冷めた事を考えていても釘付けになりました。
恥ずかしながら鷺娘を見たのが初めてだったので、他と比較のしようが無いですが、七之助が凄く綺麗だったので玉三郎の鷺娘はどれだけ凄かったんだろうと気になりました。
シネマ歌舞伎でもやっていましたが、シネマ歌舞伎に向いてるというか動きの一つ一つが画になるような舞台だと思いました。
それにしても、後半1番勢い良く紙吹雪が落ちその中で舞う七之助。
そして七之助が動く度に巻き上がる落ちた紙が余計に七之助を鷺が羽ばたいて空気が舞っているように見ええ素晴らしかったです。
終始綺麗で良かったです。
良いものを見させていただきました。
まとめ
ずっと松緑が良くない。
一貫して道玄の格や人間性が低すぎるように感じた。悪党では無くチンピラの様な感じ。 クズでカスなだけというならば今回の松緑の演出も辛うじて理解はできるが・・・
感情の描写が浅い、感情が変化するポイントで大袈裟にリアクションをしてコミカルな様に仕向けているだけで、上手くも面白くもない。
悪事を働き、天道に背くような人間なら必ず他人に向ける悪意あるはずだし、それを表現しなければならないと思うのだが…
今回の加賀鳶は私と松緑の解釈違いなのか、私の解釈が間違っているのかは分からない。
が、希望を言えば、私の解釈が間違っていて欲しい。あまりに薄っぺらで酷かったので…
勘九郎、権十郎、雀右衛門は良かった。特に勘九郎。そのせいで松緑の酷さ稚拙さが目立つ。力量が明らかに不足している。
松竹はこのレベルの役者を看板にしていていいのか疑問。
七之助は素晴らしかった。
幕見で鷺娘だけでも見る価値はある。
その他
以下は内容に関係がない愚痴。
歌舞伎はパンフレットが高すぎる。
1300円もする。ふざけている。
文楽はパンフレットに床本がついて700円。
おかしい。2冊作ってるんだから文楽の方が高いはずなのに倍近く違う。
ありえない。
パンフレットの広告も腹が立つ。
文楽はウタマロ石けん
歌舞伎はロレックス
歌舞伎は金持ちがよく見るから広告を打つのも理解はできるが腹が立って仕方がない。
文楽の方が高尚な芸能なのに。
その点ウタマロ石けんは素晴らしい。文楽の価値を分かって広告を出しているのだから。
私はウタマロ石けんを死ぬまで使います。
足袋の汚れを落とす機会がなくても、ワイシャツの汚れを落とす事はあるので。
みんな文楽みて。