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幸せとは何か 神の信託①

現代社会に求められているのは、幸せです。

あなたは、幸せですか?

幸せなら結構です。幸せの形に正解はありません。幸せは、年収や学歴に比例しません。幸せになることは至って簡単です。自身の心の声に耳を澄ませて、自分が楽しいと思うことをすることです。

ところがどうでしょう。

現代社会においては、不幸に飛び込む人が多すぎます。不幸に飛び込むとは、それすなわち、楽しくない日々を過ごすことです。

自分の心に蓋をして、世間体を気にし、社会で言われている「優れている」存在になろう躍起になります。学歴だ、年収だ、英語だ、出世だ、フォロワー数だ、なんだかんだ。

あるいは、それで負けてコンプレックスやらなんやら、あいつよりなんやらかんやら。

愚かです。

神への冒涜です。

それでは人は幸せになりません。

なぜ幸せにならないか。敗者しか生まないからです。大学受験で勝っても、出世レースで勝っても上には上がいます。東大に受かってもハーバード大学がいます。部長になっても本部長がいます。

この絶対的真理を自覚せず、競争の勝利を追い求めることは、大変危険です。

勝てばいい?

いいえ。五輪で金メダルで取ったところで、それは素晴らしいことではありますが、その種目以外で一位を取れますか?

不可能です。

人は神ではありません。

私のような神の信託を受けている訳でもありません。全知全能にはなれないのです。

常に周りとの比較で自分を位置付けて一喜一憂する。バカげています。これは須らくみんな、不幸への道を歩みます。

私は、神からの信託を授かりました。経営哲学を極め、人類の叡智を手に入れ、神に選ばれたのです。

頭がおかしい?

違います。信託は、人類が始まってから、神と人が繋がる手段です。ソクラテスもそうでしたでしょう。残っているではないですか。神からの信託を受け、人類へ神の言葉を演説しに回った記録が。

神は言いました。

「惜しい。いいところまで来ているのに」と。

特に、神曰く、日本という国においては、みなが衣食住に不自由することなく、文字も読め、物質的に、精神的に幸せになる土壌があると。

神は言いました。あと一歩

「自分の心の声に耳を澄ませよう」

「周りに感謝しよう」

なぜ、物質的に、精神的に幸せになる土壌があるのに不幸に飛び込むのか。周りと比較するのか。自分が楽しいと思うことを素直にやればいいんです。幸せを他人との比較で位置付けずに、自分が絶対的に幸せだと思うことをやればいいのです。

そして、今に感謝をすればいいのです。ご飯が食べれていること。生んでくれたこと。雨風しのいで暮らせていること。安価な月額費用であらゆる娯楽にアクセスできること。身体を動かすこと。

いいですか。あなたはいつでも幸福になれます。

あなたの思う幸せを信じましょう。

伊藤誠 文1


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