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悲しい時代

 この三日間、配信で『フジロック フェスティバル2021』を見て、色々なことを感じて、色々なことを考えすぎてしまったため、ここにそれを吐き出すことにする。読んでくださる人がいるのかどうかはわからないが、もしいるのであれば、ぜひ「スキ」とやらを押してもらえると嬉しい。僕の生活が、少しだけ照らされます。

小さい頃から、音楽を聴くのが好きだ。音楽への愛は歳を取るにつれて深まっていった。フジロックフェスティバルへの憧れは、中学生の時に見た2001年のNUMBER GIRLのステージを見て雷に打たれたような衝撃を体験してから始まった。缶ビール片手にステージ上に佇む向井秀徳、狂ったように盛り上がるオーディエンス。他のどんなフェスより違って、苗場という空間は特別に輝いて映ったのを覚えている。何より、早く客席に立って、フジロックの空気、フジロックの文化、フジロックの音楽を経験してみたかった。

新型コロナウイルスの流行は、私たちの代が大学へ入学するとほぼ同時に起こった。大学で授業が始まったのは5月から。思い描いていたものとは全く違った、パソコンの前でのキャンパスライフが始まった。

大学生になるまでは部活、受験等で忙しく、自分の趣味に没頭する余裕は、時間的にも金銭的にもなく、動画や音源にかじりつくしかなかった。

『大学生になって時間に余裕ができて、アルバイトをしてお金を貯めれば、やっとフェスに行ける。夢のような時間を体験できる。後数年の辛抱だ。』

その年、当然ながら、夏フェスと呼ばれる類のイベントは根こそぎ中止となり、2020年、大学一年の夏、フジロックフェスティバルに参加する夢は潰えた。

『来年には流行が収まってるだろうな。後一年の辛抱だもんな。我慢我慢。今年はしょうがないな。』

来たる2021年7月、どうやら今年はフェスが開催されそうだった。開催前に大学でコロナウイルスのワクチンを摂取できるとのことだったので、ウキウキでチケットと宿を取った。タイムテーブルに合わせて、どれを見ようだとか、なんでこことここを被せるんだとか言いながら、毎日ワクワクして予定を立てた。当日は雨予報だったのに加え、苗場の気候を調べて、身に付けるもの、持っていくものも一式揃えた。いち学生にとっては、それはそれは大きな出費。フジロックに行けるのだから、痛くも痒くもなかった。しかし、出発予定日の前日、現地へ行くことを諦めチケットを払い戻しすることを選んだ。

フェスの開催が近づくにつれて、出演予定のアーティストやスタッフが思いの丈を綴って、SNS上に発信する流れがあった。それを読んで今一度現状を客観的に考え、行くべきかどうか、心底悩んだ。twitterで「フジロック 」と検索すると、9割が「フジロック 、本当にやるの?」という内容だった。中には開催地である新潟県民らしき人もちらほらいて、「本当に来ないで欲しい。」「フェスに興味のない新潟県民は誰も開催を望んでいない」などといった内容を何度も何度も投稿しており、彼らは一人でも現地に赴く人を減らすことを望んでいた。

フェスに出る決意を綴っていたアーティストは「色々な葛藤はあるが、フェスを開催する人々、仲間の顔が見えてしまうからステージに立つことを選ぶ」と主張していたが、私は新潟の人々の顔を直接に見てしまったような気がして、どうしても行くという選択肢を取ることができなかった。SNS上にも、同じく払い戻しを選ぶ人が相当数おり、勇気づけられたのも大きな支えになった。

『悔しいけど、今年も我慢。来年こそは。来年は。』

『来年は。』

去年もそう思っていた。本当に悔しいが、自らそういう選択をするわけであって、行く人を卑下するわけではなく、それぞれの愛の形があって良いと思う。しかし、今回初めて参加する私のような人は、実際に苗場の空気感を感じた事があるわけではない。このリスクを冒してまで行ける理由があっただろうか。

例年通り配信で見たフェスは、いつもと違って本当に心にきた。何度も涙が出てきたし、後悔はないと思っていても、やっぱり現地に居たかったという思いは強くこみ上げてきた。盛り上がる大人たちを見て、ずるい、憎いとさえ思ってしまった。なんと幼稚な心の持ち主なんだろうかと、自分でも嫌気が差したが、やっぱり悔しいものは悔しかった。

とはいえ、現地にいる人々も様々な制限を受け、声を出したい、とかお酒を飲みたい、とか、悔しい思いをしているはずだろう。アーティストたちも、厳しい世間の声を受けて、それぞれの思いをそれぞれの形で発信していた。みんなが辛そうにしていた。

配信を見ながら、盛り上がりつつも少しずつ心にモヤモヤした感情が溜まっていくのを感じていた。

「10代という人格形成において最も重要な時期の、大きな影響を受けるチャンスをなぜこうも尽く潰されなければならないのか。」

「愛とか覚悟と言った言葉で片付けて現地に赴いて盛り上がっている大人たちが、心底憎い。」

「行けたはずだったのにな。行きたかったな。」

色々な感情でぐちゃぐちゃになった。その感情は涙になって何度も溢れてきた。私の憧れたフジロックの空気感ももちろん享受できたが、それと同量の悲しさも湧いて出てきた。

新型コロナウイルスのデルタ株が蔓延して全国で爆発的に感染者が増加している現状において、何万の人々が一つの都市に集まると言うのは、いくら感染対策をしようとも、リスクのあることだ。その事実がある以上、今回のフェスの開催は支持できない。無観客での開催も可能だったはずだ。というのが私の意見であるが、フェスという文化、音楽という文化の存続という観点においては無理にでも開催する意義は確かにあるのだろう。しかし、私のような若い世代が、フェスを通して刺激と同じくらい悲しさを感じたという事実がここにある。そんなことがあっていいのかな。

それぞれの主張があって、多面的に正しい事実があって、全方向に対する正解がない中、最善(?)を尽くしたのが今回のフジロックだったのだろう。

じゃあもう、時代が悪かったとしか言いようがないじゃないか。

私の人生で「初めてのチャンス」のタイミングと、「ウイルスの流行」のタイミングが、たまたま噛み合ってしまった。これは人間のせいでも政治のせいでもなく、時代のせいじゃないか。

悲しい。

悔しい。

ここまでつらつらと書いてきて思ったが、未成年がちゃんと我慢してるんだから、我儘のひとつやふたつ、言ってもおかしくないよな。

フジロック行きたかった。早くコロナ収まれ。誰か早くなんとかして。

僕ら若者を、救って。

お願いします。もう限界に近いんです。

日本の未来を、文化を継承していくのは、僕らの世代です。今回行って楽しんできた大人の人、出演したアーティストの人、スタッフの人、少しは葛藤しましたか?悩みましたか?苦しみましたか?あまり葛藤していない若者は確かに多くいると思います。その前に、大人たちは全員がそれをできてますか?

青年時代に、こんなにも悲しい時期がぶつかってしまった私たちの世代のこと、忘れないで欲しいです。

はじめ書こうと思っていた方向とは少しずれてしまったが、本心に近いことがかけたような満足感はある。ここまで読んでくださる物好きはいないとは思うが、吐き出したことで、少しすっきりした。

音楽という、フェスという一つの文化が絶えないように。

分断は解決を呼ばない。

祈りを。


最後に、

フジロック、最高でした。開催してくれてありがとう。


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