未熟な夜想
人とは違っていたい。漠然とした、自分の中にある思い。誰にだってあると思う。一般的な男子大学生、特に友達が多いわけでも少ないわけでもない私に見えている世界はほんのごく一部で、「世間」と一括りにしてしまうのはあまりに稚拙かもしれないが、世間の若者はあまりにも同じような奴が多い。
世間的に「大学生」という言葉は、中身のない五月蝿い存在の代名詞として使われるが、自分がそのうちに含まれていることに嫌気が差す。けれど、事実、そのイメージは間違ってはいないと思う。
「大学生」になると、誰から言われたわけでもないのに、大学生になったら髪を染める。酒を飲む。「おしゃれ(「大学生」にとって)」な格好をする。
大学生に限らずとも、そうだ。
高校生になったら、髪をセットする。制服をアレンジして着る。
Instagramは、「おしゃれ」な写真にする。
「投稿でよく見る」から、あれを食べに行こう。
『みんなやってるから』
悪いことだとは1ミリも思わないが、もう嫌気がさしている。
誰かが作ったいくつかの正解のうちから、自分が好きそうなものを選んで枝分かれのない一筋の道を辿っているだけ。たどり着いた先に、人としての違いなんてない。それはただの受動的な選択であって、自分の中から湧き出た興味ではないから。
そうしてたどり着く人格は、決して「個性」と呼べるものではない気がするんだ。
そんな人間を、私は面白そうだと思えない。むしろ、かわいそうだくらいに思っている。それでも、あまりにそういう薄っぺらい人が多すぎるんだ。疲れるんだ。自分が考えすぎなのはわかっているけれども、そう感じることを止めるのはできないんだ。
まだ私もひよっこだし、人のことをそんな風に言っていいわけがないのだが、そいういう薄さはただ「若いから」というだけでもない気がしている。
大人だって、魅力的に感じる大人と、しょうもない大人がいる。
その違いが何に由来するのかは容易に判断できないが、一発でわかってしまう。
若さが原因じゃないなら、何が原因なのか。SNSかな。
ただ、自分の好きなものを信じて、魅力的な大人になりたい、というだけの、未熟な若者の夜想。