「びっくり仰天の出来事」 黒酢二郎の回想録 Valeu, Brasil!(第5回) 月刊ピンドラーマ2024年1月号
前回はブラジル到着直後に「ピストルの音」におったまげて逃げまどい、会議の内容を理解すべくポルトガル語の習得に精を出したことをお話しました。今回はサンパウロに赴任してからの数年間(1992~1995年)に起きたびっくり仰天の出来事3件をお話します。いずれも非常に興味深い出来事で、政治経済の安定した先進国に住んでいては決して経験できなかったと言っても過言ではないでしょう。
その1:ハイパーインフレ
1989年の大統領選挙で勝利したフェルナンド・コーロルが1990年に大統領に就任。インフレ抑制のために預金封鎖、つまり一時的に市民や企業の口座を凍結するという大胆且つ無謀な策を実施したものの、その年のインフレ率は何と数千%に達しました。翌1991年のインフレ率は数百%に下がったものの(と言っても非常に高い数字ですが・・・)、1992年と1993年には再び数千%というハイパーインフレとなりました。ハイパーインフレとは、経済の需要と供給のバランスが崩れ、短期間のうちに物価が急激に上昇する現象で、その結果、通貨の価値が急落してしまう事態です。
私がサンパウロに赴任した当初は経理の仕事を担当していたこともあり、毎日が驚きの連続。月々のインフレ率は30~40%程度だったと記憶しています。商店やサービス業の小売価格もインフレ率に応じて定期的に調整されるので、庶民は給与をもらってからすぐに使わなければ損をすることになります。資金を運用に回すことのできる富裕層を除き、安い給料をもらってそれで家計を自転車操業している庶民にとっては、1か月後には貨幣価値が30%以上軽減しており、それだけ購買力が落ちているからです。というわけで、給与支給日にあたる月末や月初にはスーパーマーケットに長蛇の列ができるという状況でした。私が勤めていた会社の商品やサービスの小売価格も毎月インフレ調整をしていたのですが、その度に日本本社に申請書や報告書をファクスで送らなければならず(パソコンやEメールは未だない時代)、送受信の際にファクスの紙詰まりが頻繁に起こってはストレスを溜めていたことを思い出します。また、社員に支払う給与も毎月インフレ調整をして、しかも月の半ばに給与の4割を支給し、月末に残りの6割を支給するという福利厚生策をとっていたので、それだけで手間がかかる上、当時はインターネットバンキングなど存在しておらず、社員の銀行口座への振込手続きもほぼ手作業で行っていました。今思うととんでもなく事務作業に手間のかかる面倒な時代でした。
その2:大統領の罷免
コーロル政権は経済政策に失敗してハイパーインフレを引き起こしたばかりか、汚職に手を染めたため、1992年に弾劾裁判となり、事実上罷免されました。当時のテレビや新聞では連日このニュースが流され、街中には罷免を求めてデモをする市民で溢れ返っていたことを思い出します。直接選挙で選ばれた現職大統領が罷免されるという事態は、当時のナイーブな私にとっては想像もつかない出来事でしたが、その悪夢が24年後の2016年にも繰り返されます。ジルマ・ルセフが社会保障予算の不正執行により、弾劾裁判で罷免されたのです。一度ならず二度までも国家元首がそのような形で職を追われるのは、国家の機能不全の象徴の様で何とも情けなく、諸外国からの信用もガタ落ちになってしまうと私も落胆したのでした。
その3:通貨切り替え(デノミネーション)
コーロル大統領の罷免後、1992年12月に副大統領のイタマール・フランコが大統領に就任しましたが、悪性のハイパーインフレは収まる様子を見せませんでした。そこで、フランコ政権の経済大臣フェルナンド・エンリケ・カルドーゾがレアル計画を推進し、1994年7月に通貨をクルゼイロからレアルに切り替えたのです。この政策が功を奏し、1995年からのカルドーゾ政権下でハイパーインフレが鎮静化されたのです。近年では、ブラジル以外にアルゼンチン、当時のユーゴスラビア、トルコ、ルーマニア、北朝鮮、ジンバブエ、ベネズエラなどで通貨切り替えが実施された例があるようですが、いずれも自国の通貨価値が暴落して国際経済の中で立ち行かなった場合の対策として実施されています。来年(2024年)でレアル導入30周年を迎えますが、通貨切り替えの瞬間を生活者として体験できたことは非常にスリリングでした。
(続く)
月刊ピンドラーマ2024年1月号表紙
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