SNS時代に感じたことと、その変化。
これから書く文章は、
世間的な変化や傾向をまとめたものではなく
私の中での気持ちの変化を書いたものであります。
学生時代からmixiやデコログなどを経て、
なんとなくやっていたInstagramもtwitterもFacebookも、
ここ一年程、さむいと思っていた。
何でもかんでも共有してアピールして
インスタ映えという言葉とともに
いいね欲しさに
何かをするということにダサさを感じた
※物作りや表現したい場合を除く
生活を切り取るのと、SNSの為に用意するのとでは、
意味が変わってくる気がした。
なにを基準にしてるのかわからないと。なんのためにやっているのかと。
見えていないところで何かしていることの魅力があんじゃないかと思った。
何か違和感を感じて、いくつかのSNSを休止し、みないようにした。
それから
しばらくして気づいたことがあった。
感じていた違和感は消費的か生産的かで判断しているとだと。
それは、SNSを超え生き方へも繋がる気がした。
それを気づかせてくれたのは彼だ。
思うに、生産的に生きている人だ。
類は友を呼ぶとも言いますが、周りもそういう人が多い気がする。
いろんな人と出会う中で、自分が消費的に生きていることに気がついた。
それは決して悲観的ではなく、
新しい気づきは
たくさんの可能性を生むんだと信じている。
今目の前にあること、できることは、小さなことだけど、
日々をより素敵に過ごせるようにする、なる。
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