100年前の面影を残す「彭鎮老茶館」に集う人々
英国エコノミスト誌には、「Chaguan(茶館)」と題した中国関連の話題を取り上げるコラムがあります。エコノミスト2020年11月14日号では、この「Chaguan」コラムの100回記念として、四川省成都にある「彭鎮老茶館」を取材しています。政治経済関連の時事ニュースばかりでなく、エッセイ風の味わい深い記事が読めるのもエコノミスト誌の魅力。その内容をちょっとのぞいてみましょう。
~英エコノミスト 2020年11月14日号 "Tea before dawn"より。以下、引用部分はこの記事からのものです。~
「1世紀を越えてお茶を飲む場であり続けてきた、灰色屋根の木造の建物の起源は明朝の時代にさかのぼる。当時、ここは観音菩薩を祀る仏教寺だった。」
"A place to drink tea for more than a century, the grey-roofed, timber-framed building dates back to the Ming dynasty, when it was a temple to Guanyin, a Buddhist immortal."
写真はその店内の様子です。高齢者を中心に、土地の人々が集う場となっていることがうかがえます。
「中国共産党の支配について中国の人々に公共の場で直接尋ねることは安全とは言えないし失礼でもあるが、当誌記者は、さまざまな国で国民の自信のほどを確かめるのによく使われる2つの質問を投げかけながら、(苦痛なほど早朝からではあったが)数時間を楽しく過ごした。」
"It being unsafe and unfair to ask Chinese citizens directly, in public, about Communist Party rule, this columnist spent a happy (if painfully early) few hours asking people two questions often used to assess morale in different countries."
「if painfully early」の if は、いわゆる「譲歩の if」で、「~ではあるけれど」のように訳します。先日、オバマ元アメリカ大統領の回顧録を紹介したNHKのニュース記事で、この譲歩のifの誤訳が取りざたされました。
「NHK、オバマ氏回顧録を誤訳? 鳩山氏巡る部分に指摘」
https://www.asahi.com/articles/ASNCL6KGMNCLUCVL00D.html
オバマ氏が当時の鳩山首相のことを「A pleasant if awkward fellow(不器用だが感じの良い男)」と評したのを、「感じは良いが厄介な同僚だった」と訳したために、誤解が生じた例です。
譲歩の if、間違えないように頭に入れておきましょう!
さて、100年の間に中国はずいぶん変わりました。毛沢東が国の指導者となり、1950年代食糧難と飢餓の時代を経て、1966~1976年の文化大革命の時代へ。その頃に比べたら、現代の中国はずいぶん豊かになりました。茶館に集まる人々の話から、激動する中国の姿が浮かび上がってきます。
エコノミストの記者は、82歳の女性、ジァンさんにインタビューしました。
「彭鎮に住む多くの人々と同じように、ジァンさんの家族は「戸口(フーコウ)」と呼ばれる農村戸籍を持っている。そのせいで孫たちは二級市民ということになり、大都市に住んで働くことはできても、社会保障サービスの多くを受けることができない。」
Like many in Pengzhen, Ms Jiang's family have rural household-registration, or hukou. As a result, her grandchildren are second-class citizens, able to live and work in big cities but denied many public services there.
中国では、地方から都会へ自由に引っ越しすることはできません。都会に働きに来る人はもちろんたくさんいますが、社会保障が受けられないという大きな問題があります。このように中国では、都市生活者と農村戸籍を持つ人との格差が非常に大きくなっています。
中国が資本主義を基礎とした経済開放路線へ舵を切ったことで、中国も他の国々と同様の競争社会になりました。親は仕事に、子供たちは勉強や習い事に大忙し。現代中国は経済的には豊かになったけれど、若い世代は多大なストレスを抱えていて、茶館でのんびりお茶を一杯、という余裕はないようです。幸せってなんだろう。日本の私たちも考えてしまいますね。