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1983年6月 -アルバイトとLONG VACATION-

6月9日(木) 晴
 大教室での一般教養の授業に出るだけ出て、こっそり友達に貸してもらった『僕って何』を読んでいた。

6月11日(土) 晴
 学校が終わった後、母と買い物に行った。サンダル、夏用ズボン、スカートなどを買って帰った。図書券でプレゼントマガジンと『筒井康隆全童話』を買った。

6月19日(日) 晴
 朝9時半に起きて、「パーマン」を見ながら朝ごはんを食べた。その後、カセットで「ロング・バケイション」を聴きながら部屋の掃除を始めたが、12時から「ルパン三世(旧)」の再放送があるので中断し、見終わった後、友達に借りた筒井康隆の『メタモルフォセス群島』を読み始めたら止まらなくなる。なんとか掃除の続きをやって、スーパーへ買い出しに行ったあと遅い昼ご飯を食べてから、4時から「じゃりン子チエ」の再放送を見ながら野菜の皮をむき、ラジオを聴きながら晩御飯を作った。晩御飯のメニューは、ビーフシチューと野菜サラダにした。晩御飯を食べながら「さすがの猿飛」を見ようと思ったら、弟にチャンネルを変えられた。やっと忙しい一日が終わった。まだ勉強が残っているが……

6月21日(火) 曇
 『血液型愛情学』の本を友達に貸してあげた。

6月28日(火) 晴
 パン屋さんのアルバイト初出勤。お店の制服を着て働くのは、ちょっと恥ずかしい。私はそういう柄じゃないし……。
 大学の近くにあるこの店には、お客さんがどんどん来る。お客さんがいないときでも、仕事は自分で見つけてでもびっしりやらないといけない。先輩にレジとかいろんなことを教えてもらったけど、私のドンくささには、かなりまいっていたかもしれない。先輩はいい人だったけど、自分で自分のドンくささにとことん嫌気がさして、それでも落ち込んでいる暇もない。何もかも忘れて夢中で働いていた。
 同級生がパンを買いに来た。第二外国語の先生まで来たのにはまいった。この授業はサボってばかりだから。必死すぎてお腹がすくのも忘れていた。こんなに必死で働いたのは初めてだ。とにかく頑張ってみるしかない。パンの値段も覚えないといけない。だ、だれか助けて……

・『僕って何』――三田 誠広作。芥川賞受賞の青春小説。内容はまったく覚えていない。

・学校が終わった後――70~80年代ごろは、どこの学校でも、土曜日も午前中は授業があるのが普通だった。午前中だけ授業があることを、「今日は土曜日だから半ドンだ」などと言った。

・プレゼントマガジン――懸賞雑誌。これを見ながらせっせと懸賞のハガキを書くのにハマっていた。

・パーマン――日曜の朝に、テレビ朝日系列で「藤子不二雄劇場」が放送されていた。藤子作品の中ではパーマンが一番のお気に入りだったが、藤子先生の遺作の「チンプイ」もいいよね。

・「ロング・バケイション」――言わずと知れた、1981年に発表された大瀧詠一の永遠の名盤。当時は、音にこだわる大瀧師匠に敬意を表して、わざわざメタルテープ版のカセットテープを買って持っていた。(で、安いラジカセで聴いているからほとんど意味がない)。この頃の音楽を今ipod airなどで聴くと、クリアすぎてなんだか別の音楽のようだ。

・「ルパン三世(旧)」――ルパンが緑ジャケットを着ているファーストシリーズのこと。ファーストシリーズが好きすぎて、セカンドシリーズには見向きもしなかった。

・「じゃりン子チエ」の再放送――関西地方では、じゃりン子チエがエンドレスループで再放送されていたのは有名な話。それを放送されるたびに毎回見ていたのもまた事実。不思議に何回見ても飽きない名作アニメ。

・晩御飯を作った――ときどき母に代わって晩御飯を作っていた。しかし料理が苦手なため、レパートリーはほぼカレーかシチューである。

・「さすがの猿飛」――細野不二彦原作のアニメ。この後番組は「GU -GUガンモ」だったかな。

・『血液型愛情学』――能見 正比古著。80年代は血液型性格判断が大ブームだった。今では血液型で人の性格を決めつけるのはすっかりタブーになってしまった。

・パンの値段を覚える――焼き立てパンを売るパン屋さんでは、パンに値札は貼ってないしレジはアナログなので、陳列されているパンの値段をすべて覚えてレジに数字を打ち込まなければならない。一人でレジが打てるようになるまで数日かかった。たしか時給は、400円台だった。でも現代のコンビニバイトのほうが、やることが多くてもっと大変かもしれないとも思う。

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