私の人生はポケモンと共にあったと言っても過言ではないのだ
私は、いわゆるポケモン初代世代である。
年齢がバレるのであまり具体的には言いたくないが、小学校の頃はゲームボーイでポケモンばっかりしていた。
ポケモンとの出会い
私とポケモンの出会いは金持ちで有名だった友人の家。
スーパーゲームボーイでその友人がポケモン赤をプレイしているのを見た時に衝撃が走ったのを覚えている。
なんて面白そうなゲームなんだと。
当時、ロールプレイングといったらドラクエやFFが覇権を握っていた。それらはストーリーに重きが置かれており、ラスボスを倒すとほとんどプレイする事はない。
その点、ポケモンは育成と収集に重きを置いており、ストーリーをクリアした後も、友人と育てたモンスターを交換したり対戦させたりすることが出来た。
今でこそあらゆるゲームに取り入れられているこのシステムは、当時としては画期的であった。
母におねだりして買ってもらったポケモン赤に私は夢中になった。
ゲームは1日30分までという我が家の厳しい制約の中、少しずつストーリーを進め、一ヶ月以上かけてクリアをした。
最初に殿堂入りしたポケモン達は今でも覚えている。カメックス、ダグトリオ、ピジョット、サンダー、ウインディ、プテラ...
最高の相棒達であった。
この相棒達を用いて友人と対戦に明け暮れた。
その後、発売延期を繰り返し発売されたポケットモンスター金銀にも私は夢中になった。
その頃発売されていたポケモンスタジアムという、3Dでポケモン対戦が楽しめる任天堂64のソフトを用いて友人と毎日のように対戦をしていた。
友人のミュウツーを6匹入れたパーティを相手にカビゴン1体で3タテしたのは良い思い出だ。
ポケモン離れと再会
月日は流れ、私は中学生、そして高校生となった。
ゲーム自体はプレイしていたが、なんとなく「ポケモンは幼稚なゲーム」という風潮があり、徐々にプレイをしなくなっていた。
その頃に発売されたルビーサファイアは買うことすらなかった。今思えば本当にもったいない事をしたなと思う。あれほどの名作をリアルタイムでプレイしていないなんて。
私がポケモンと再び出会ったのは大学生の頃。
地元に帰省していた時に友人から
「最近のポケモン面白いよ。ネット使えば対戦も出来るし一緒にやらない?」
と誘われたのがきっかけであった。
夏休みで暇だった事もあり、次の日にはゲーム屋に足が向かっていた。購入したソフトはポケットモンスタープラチナ。運命の出会いであった。
ガチ対戦の沼にハマる
ストーリーを楽しんだ後、友人との対戦に挑んだ。結果は惨敗。
どうやら、私のポケモンは対戦で通用しないらしい。
その時に友人から個体値、努力値、種族値の概念を知らされることになる。
※このあたりの用語の説明をしていると長くなってしまうので、下記のサイトを参照してもらいたい。
それ以来、友人にリベンジするために、ネットでポケモンの攻略サイトを調べまくった。
個体値を厳選するためには育て屋さんでたくさんの卵を孵化しなければならない事。
努力値を振るには特定のモンスターをたくさん倒さなければならない事。
様々な事を学んだ。
これらの作業自体には時間がかかるため、夏休みの空き時間のほとんどをポケモンの育成に充てた。
一ヶ月後、私は友人にリベンジを果たす。快感だった。
ここで一旦ポケモンにも一区切りがついたかと思ったが、せっかく時間をかけてポケモンを育てたので、その後もインターネットの対戦掲示板などで相手を見つけて対戦を続けた。
そんな中、私を更にポケモンの沼に引き摺り込む出来事が起こる。
ポケモン対戦動画との出会いである。
ニコニコ動画とバトレボ
この頃はニコニコ動画全盛期。
なんとなくポケモンの対戦動画が上がっているのを見つける。
そこでポケモンバトルレボリューション(バトレボ)というゲームの存在を知った。
wii版のポケモンスタジアムのようなゲームであり、見知らぬ人とのランダム対戦が初めて実装されたソフトでもある。
もちろん私も購入し、ランダム対戦を楽しんだ。それはもう遊び尽くした。
それと同時にたくさんのバトレボ対戦動画を視聴した。
バトレボの対戦動画はニコニコ動画内でブームとなっており、沢山の実況者が投稿していた。一つの文化が出来上がっており、コメント機能も相まって、その輪の中に入れた気がして、とても居心地が良かった。
ちなみにその頃良く見ていた実況者さんはこんな感じ(敬称略)
もこう、こだち、しゃけ@、おえかき、アスファルト岡田、明太子@などなど...
もこう先生やおえかき(おえちゃん)のように今や有名YouTuberやストリーマーになった人もいれば、活動自体を辞めてしまった人もいる。
ただ、彼らの事は10年以上経った今でも記憶に残っている。
時間がある人は彼ら実況者の大会動画を見てもらいたい。一つ一つの戦いにドラマがある。
レート2000への道
社会人になり忙しくなった事でポケモンをやる時間は激減した。
それでも時間を見つけては、ポケモンの育成、対戦を行っていた。
ちなみにこの頃には世代が移り変わり、ポケモンBWが発売されていた。
BWではランダム対戦のレート戦というモードが追加された。
ポケモンのレート戦とは、ある一定期間の勝率を競い合うものであり、1500をスタートとして勝てば数値が上がり、負ければ数値が下がる仕組みになっている。
1700を超えるとちょっと強い人。
2000を超えられる人は全体の0.5%程度である。
私はレート1700前後をウロウロする程度の実力だった。
そして、その後XYシリーズが発売された。待望の3DSによる新作である。
ちょうどその頃、私は仕事があまり上手く行っておらず、自信を失っていた。
自分に自信を持ちたい。何かを成し遂げたい。
私はその何かをポケモンに求めた。
それがいい事なのかはわからない。とりあえず一ヶ月だけポケモンに真剣に打ち込んでみようと思った。
そこで私は一つの目標を立てる。
「ランダム対戦でレート2000を目指そう」
先にも述べた通り非常に高き壁である。
加えて、私はその目標に私は縛りを設けた。
「パーティにはレジスチルを入れる」
↑
これがレジスチルである。
私はレジスチルというポケモンが大好きである。
無機質なフォルムに惹かれたというのもあるが、私がガチ対戦を初めて最初に使った伝説のポケモンであり、バトレボ時代で大活躍してくれたのが最大の理由である。
ちなみにこの時代のレジスチルは、伝説ポケモンの中でも最弱クラスのレッテルを貼られていた。
なんとかレジスチルを活躍させたい。パーティを練りに練って考えた。
構想に3日。育成に1週間。その後調整を繰り返し、ようやく納得の行くパーティが出来た。
そしてそれからおよそ3週間。私はランダム対戦に潜り続けた。
そして、シーズン最終日...
私はレート2000超えという一つの目標を成し遂げた。しかも相棒のレジスチルを入れたパーティで。感無量だった。
↑
その時の画面を撮影したもの。
正直な話、これを成し遂げたからといってすぐに何かが大きく変わった訳ではなかった。
ただ、この成功体験が私にとって小さな自信を与えてくれた事は確かである。
今、私は職を変え、以前よりはマシな人生を送っている。
そうなったのもポケモンのお陰...と思っていた方が人生は楽しいので、そうする事にしている。
最後に
私は今でも最新シリーズのポケモンモンスターソードシールドをプレイしている。
人生の伴侶を得た事もあり更にプレイ時間は減ってしまったが、それでもランダム対戦を嗜む程度には遊んでいる。
こうやって思い返してみると、ポケモンの世界で言えば「短パンこぞう」のようなモブトレーナーの1人である私にもこれだけの思いや物語もあるのだ。
本当に素晴らしいゲームだと思う。
願わくば、私達の子供や孫の世代までシリーズが続いてもらいたい。
そして、私も死ぬまでプレイしたい。
ありがとうポケモンモンスター。これからもよろしく。