旅ログ:新島と式根島 2024/新島編
近所の楽園
摩天楼から3時間、空と海と岩木々が支配する場所がある。
そこでは信じられないほどの美しい海と生き生きとした生物群が密集し、激しい気候と地質活動が紡ぐ絶景に囲まれている。
伊豆諸島、その非日常な島の日常へは、都心から3時間で辿り着ける。
島へ
デブは夏に弱い
東京タワーを眼前に臨む浜松町駅の北口改札を抜け、できたてホヤホヤの空中回廊を東に進むと竹芝桟橋へと辿り着く。はずだった。
7月初旬、今にして思えばもう梅雨明けと言って良かった木曜日、家を出た瞬間から照り付ける東の日差しに大ダメージを受け、目的地間際の数百メートルのペデストリアンデッキすら億劫になったデブは、新橋から2駅だけゆりかもめに乗った。
それでも高々数十メートルの屋外ルートで大汗をかいてしまったが、客船ターミナルの待合スペースはひんやり快適この上なく、どうにか干乾びずに済んだ。
人気の伊豆諸島
社会人になって丸5年が過ぎ、しかしそれでも事ある毎に付き合ってくれる同期の友人達を伴い、私は今年も島へ行く。予定よりも幾分早く合流した彼等にチケットを手渡し、乗船案内を待つ。
ジェット船は7月頃になると大島までの臨時増便が設定される。梅雨の荒天が幾分和らぎつつ学生達はまだギリギリ夏休みではない絶妙な時期、この僅かな隙を突いた旅程を組んだ自分はやはり天才なのだと思いたかった。しかし瞼を開けば、目を輝かせる外国人観光客とクーラーボックスと釣り竿を抱える歴戦の釣り人達が、増便に長蛇の列を作っている。いやはや伊豆大島の人気はただ事ではない。
特有の早口
往路で乗船するのはジェット船「結」。その名前から船がエントリープラグに思えてしまうような厄介オタクは恐らく本日私だけのはずだが、つい最近新造され就航したこの船は座席も良く、プラグスーツ無しでもシンクロ率80%だ。
ジェット船と呼んでいるこの船は、型式を「ボーイング929」という。
巡航時には水中翼を没入させることで揚力により船体を大きく浮上させて水中抵抗を減らし、海水のジェット噴射と合わせて時速80kmで疾走するこの船は、船というより水面航空機と呼んだ方が実態に則しているように思える。
出航から息継ぎもそこそこに薄いオタク知識をひけらかし終える頃には、レインボーブリッジなどとうに通過し、青海のコンテナ埠頭を高速で擦り抜けていた。
右に左に飽きの来ない景色を提供してくれる東京湾は意外と南北に長く、浦賀水道を経て太平洋に出る頃には、伊豆大島までの半分の距離まで来ていることになる。
だいたいここから1時間もすれば伊豆大島に到着するのだが、大型海洋生物、いわゆるクジラやイルカなどが接近した場合は高速走航を中止してやり過ごすこともある。幸いにして今回は彼等との接近遭遇も無く、船はダイヤどおりに伊豆大島の岡田(オカタ)港に入港した。
流石伊豆大島は観光人気も高く、ここで乗客の7割程度が下船していった。
少し長めの停泊の後、船は次なる島を目指す。我々の目的地は、大島から利島を経て3つ目の新島である。
なっが~い閑話
4年前、3年前にも訪れた大島を左に眺めながら、中々陸地の途切れないこの大きな島の記憶とロマンに思いを馳せていく。
兵庫県の玄武洞を名前の由来とする「玄武岩」は、主に大洋の島々の火山でよく見られる溶岩だ。大陸で見られる「花崗岩」と比べて黒っぽく、粘性が高い傾向にある。但し、この玄武岩や花崗岩は大きな区分であり、実際に観察される岩石に対しては「玄武岩(質)スコリア」とか「斜方輝石玄武岩溶岩」等のような細分化された名称が与えられている。
溶岩で形成された伊豆諸島の島々は、而して主たる溶岩の成分が概ね島ごとに異なることが知られている。大島の山頂付近に存在する日本唯一の砂漠「裏砂漠」は、この玄武岩質マグマを成因とする黒々としたスコリアによって形成されている。
ただし、この黒々とした色は岩石中の鉄成分に因るところが大きく、鉄であるが故に大気中で酸化することで徐々に赤褐色となる。数十~数百年程度と非常に高頻度で溶岩流出を伴う噴火を起こす伊豆大島の三原山は、その都度新鮮な溶岩を供給するため、まだ新鮮な「裏砂漠」や岩塊である溶岩剥き出しの海岸などは黒さが残っている。
しかし、伊豆大島で有名な地層大切断面、通称「ベームクーヘン」の色は、明るい赤褐色である。この赤い岩石も黒い溶岩と元は同じマグマであったが、今の色は大きく異なっている。これには、経過した時間の差だけでなく、その「形状」も関係している。
噴火では溶岩だけではなく「スコリア」と呼ばれる火山軽石も噴出する。
高温高圧の液体であるマグマが噴火により空中に飛沫として飛び出し、マグマ中に含まれている水が急減圧によって急激に気化して逃げ出し、残ったマグマだけが冷やされて固まることで、無数の空隙をもつ小さな軽石が形成される。従ってこのスコリアも、同時に流れ出ている溶岩流と成分はほぼ同じなのである。
ただし、この一連の軽石化は「火口から飛び出て数秒程度」つまり地面に落ちる前に完結してしまうため、飛翔中に軽くなったスコリアは上昇気流や風に乗って溶岩よりも広い範囲に拡散される。
降り積もったスコリアも初めの数十年は黒いままだが、それでも徐々に風化していく。風化に伴い岩石中の鉄などは酸化していき、それは溶岩もスコリアも同じであるが、その進行速度は異なる。
スコリアは空隙が多く、言い換えれば重量や体積に対する表面積が溶岩よりも圧倒的に大きい。大気に接する面積が大きければ、それだけ酸化も早く進行するのである。
バームクーヘンのある場所は、昔からスコリアなどの軽石が多く積もる場所であり、降り積もるたびにすぐ赤く「錆びて」いった結果、どの層も赤褐色の美味しそうなケーキとなったのだ。
1986年の噴火で形成された真っ黒な裏砂漠も、あと百年もすれば赤茶けた土地になっているはずである。
閑話休題
島到着
友人たちが寝息を立てる中、脳内のイマジナリーフレンドに対して講釈を垂れていると、いつの間にか利島も出航し、間もなく新島に到着という時分であった。
竹芝桟橋を出てから約3時間半、船は新島の渡浮根港に着岸した。
堤防に降り立つと、お世話になる宿の方が送迎にお越しくださっていた。例によって突き刺す日差しに悲鳴を上げながら送迎者に飛び乗った我々は、一路、島の中央へと運ばれていく。
Villa BENI はいいぞ
宿の名は「Villa BENI」
オープンして間もない一棟貸しのコテージであり、島中央で和菓子屋を営まれている「紅谷」さんが運営されている。お会計や鍵の受け渡しなどは紅谷さんの店舗で行う。
実は昨年も同じような時期にお世話になっており、その際にとても感激したため再訪したのである。おそらく今後も定宿となるだろう。
手続きが済み時刻は12時半。紅谷さんのお隣にある「マルゴー」というお食事処でお昼を頂き、Villa BENIへと向かった。なお、車は宿の付帯設備として利用できるのだ!!!
Villa BENI は居心地が良過ぎるため、油断すると何時間もだらけてしまう。
どうにか意を決してソファーから尻を剥がした我々は、目と鼻の先にある羽伏浦海岸へと向かった。
羽伏浦海岸
新島はサーフィンの聖地として名を馳せた島で、その聖地たる所以がこの羽伏浦海岸である。
ちょうど良い白波が絶えず打ち寄せ、新島のコーガ石(黒雲母流紋岩)を母岩とする真っ白な砂浜が東岸約7kmに続く。
あまりに長大な海岸のため、初日は北側・最終日に南側と、2回に分けて堪能した。最終日に撮影した空撮映像も添えるが、こんなものでは1割も伝えきれない圧巻の場所である。
これを見るためだけに新島に来ても良い。
新島ガラスアートセンター
羽伏浦の反対側にある、新島ガラスアートセンターを訪れた。
館内には美し過ぎるオリーブ色のガラス工芸品が数多く展示・販売されている。
このガラスこそ貴重な「新島ガラス」である。
原料は羽伏浦海岸を形作るコーガ石(黒雲母流紋岩)そのものであり、世界でも新島とイタリアのリパリ島でしか採れない。
当然のようにビール用グラスと日本酒用ぐい呑みを購入し、自宅に郵送して頂いた。
購入直後、館内で今まさに製品を製造しているところを見せていただけることになった。飴細工のようなあの作業も直接見るのは初めてで、納豆のようにどこまでも伸び冷えても弾力のあるガラスの糸(≒光ファイバーの中身)や、十数秒で器の形に成型する職人技など、知っているようでまるで知らなかったガラスの知見を非常に多く得られた。
館内撮影禁止のため、感動は君の目で確かめてみろ。
新島親水公園
羽伏浦海岸の大スケールと新島ガラスの職人技に圧倒された我々は、感覚を等身大スケールに戻すべく島内の親水公園に向かった。
この公園には各所にセンスの良いオブジェがあり、そのオブジェにはコーガ石や新島ガラスがあしらわれている。
なおこの公園にはレストハウスも併設されているが、閉店時刻を読み違えていたため間に合わなかった。昨年訪問時も閉まっていたため、次回の宿題である。
後半へ続く