TMR編集室より| 22.05.02 日光山と東照宮
先日、縁あって日光へ。日光といえば東照宮。世界遺産であり、東照大権現こと徳川家康を祀る聖地・霊場でもあります。「音の巡礼」の一環として「音」を探してみました。
日光山散策
「聖地の音は朝がいい」という個人的実感のもと、6時ころから散歩開始。いたるところに流れる水の音と鳥のさえずりに耳を馴染ませながら、少し山を登ると勝道さんというご上人の像が出迎えてくれます。
勝道上人は日光山を開山した僧侶で、中禅寺湖畔にあった桂の木を彫って千手観音様をあらわし中禅寺を開創されたという方。それは最澄や空海が活躍するおよそ20年前くらいのことだとか。
勝道上人がこの地に開いたとされる四本龍寺と二荒山神社あたりに、朝の静謐な空気が漂っていて何度も深呼吸。
特に何も録らなかったけれど、日光山という「山」の空気と樹々、そして水や鳥。耳や目や鼻をつかって感じ取り、朝の音巡礼を終えました。
東照宮へ
東照宮は9時開門とのことで一旦出直してみると、日光山には観光客のにぎわいがやってきます。6時台の散歩とはだいぶ異なる雰囲気。
東照宮へは初めてお参りしたのですが、これまでお参りしたことのあるどんな社寺と比べても、その「色」の多さに圧倒されます。豪華絢爛を志向する色彩感。それが時の権力者の墓所であるということ。霊地として、なにかの願いがあるとしたら、遠い過去の人たちの願いであり、今訪れている人たちの願いやこの場を営んでいる人たちとの連なりが、あまり感じられないさみしさが漂います。
それでも長い階段をのぼってたどり着いた徳川家康のお墓は、門扉以外は一つの鋳型からつくられたという門が美しく感じられ、ここでちょっとホッとした心持ちに、、、。
見えるものと見えないもの
「音の巡礼」的な聖地巡礼のたのしみは、土地固有の音や信仰や歴史を肌身をもって感じること。その手がかりを探しながら歩く、に尽きる。
“目に見えるもの”が、目を楽しませてくれたり知的好奇心を刺激してくれることはもちろんですが、”目に見えないもの”への実感や感覚の発見を喜ぶ旅路なのだなあと、つくづく思いました。
勝道上人というお坊さんが開いた日光山という山には「音の巡礼」の手がかりは感じられましたが、「音」として切り取る(録音する)機会は今回はなし。
いつか中禅寺にもお参りしてみたいです。