その死との関係性のなかで生きること
2023年7月23日、小田原にある南十字という本屋さんにて、「小説『ボイジャーに伝えて』×知名オーディオ ~小説に出てくる音の世界を堪能しよう~」というオーディオリスニングイベントが開催された。
昨年、風鯨社というひとり出版社が刊行した『ボイジャーに伝えて』という本は、2012年に惜しくもこの世を去った駒沢敏器さんの小説。フィールドレコーディングの旅をしながら、音の向こうにある世界を追い求める主人公が、音を巡る旅の中で"とあるスピーカー"と出会い沖縄に導かれ、物語が展開していく。
この小説を読んだ読者のお一人が「"とあるスピーカー"のモデルは知名オーディオさんでは?」と気づき、風鯨社の鈴木美咲さんと知名オーディオさんを結びつけてくれたのだ。
そのような経緯で、本屋さんでのオーディオリスニングイベントという風変わりな場が設けられた。僕は縁あってスタッフとして参加することになった。
小さな本屋さんでのイベントなので、定員は15名程度。SNSを通じて関係者にお知らせしただけで席が埋まってしまった。
来場者には駒沢さんの幼馴染でありミニコミ誌『MORGEN ROTE(モルゲン ロート)』を発刊していた仲間たちや、駒沢さんと「Sound Bum(サウンドバム)」というフィールドレコーディングのプロジェクトを主宰していたLiving Worldの西村佳哲さんとたりほさん。生前の駒沢さんをよく知る方々も集った。
「Sound Bum」のCDからは、駒沢さんがレコーディングに同行していたというミシシッピでのフィールドレコーディング音源がかかった。
知名オーディオさんが 持ってきてくれたSt.GIGA(小説にも出てくる実在したフィールド録音専門のラジオ局)のCDは、まさに小説で描かれている音を体験しているような感覚。まるで熱帯雨林でスコールを浴びているかのようだった。なんと豊かな音か。
知名オーディオさんのスピーカーは想像していた以上に驚きのある音。ジャズやロックは目の前で演奏しているような臨場感だし、テクノの没入感は音の世界に引き込まれてしまって危ないなと思うほど。
風鯨社 美咲さんから「遠藤さんもなんかかけてよ」と言ってもらっていたので、佐賀のお寺で録らせてもらったお経の音源と、岡田晴夫さんという人物が身延山で録ったお経の音源をかけさせてもらった。
岡田さんは前述の「Sound Bum」の録音も担当していた方で、駒沢敏器さんとは親しい間柄だ。本来ならばこのイベントにも参加するはずの人だが、いない。
音源が流れた後に、なぜ自分が岡田さんが録音したお経音源をかけたのか、その理由について皆さんにお話しした。
少し長い話になるが、とても短い期間の話。僕と岡田さんとの交流録を以下に記す。
一年前の偶然
実は昨年(2022年)に、風鯨社の美咲さんと岡田さんと僕の3人は、駒沢敏器さんを追悼する会を都内のお寺で開催すべく企画を進めていた。
きっかけは『ボイジャーに伝えて』を読んだ岡田さんが、風鯨社宛に連絡をされたこと。「Sound Bum」のレコーディングツアーで駒沢さんと一緒にミシシッピへ行った時の音源や写真が色々と残っている。小説の中で描かれたとあるワンシーンが、実は旅行中に実際にあった出来事で、その時の音源もあるという(版権の関係から「Sound Bum」のCDに収録できなかった)それらの貴重な資料を来場者と共有したい。
駒沢さんの死はあまりに突然のことで、岡田さんとしてもその不在をうまく受け入れられておらず、何か偲ぶ会のようなことをやりたいというご相談だった。
岡田さんが風鯨社にメールしたすぐ後、僕も岡田さんと偶然に出会っていた。2022年8月末に下北沢B&Bで行われた「津田貴司×柳沢英輔×金子智太郎
"録ることについて聴き、そして語ること。"」というイベントでのこと。
フィールドレコーディングに関する二冊の書籍の出版記念イベントということで、予々悩んでいた「お寺の本堂でお経をうまく録るにはどうしたらいいですか?」という質問を思いきってしてみた。声と鳴り物のバランスがどうも難しく、鳴り物の音で割れてしまう。柳沢英輔さんにアドバイスをいただいた。
その様子を、僕の後ろの席で見ていたのが岡田さんだった。会がお開きとなったところで、ニコニコしながら声をかけられた。
「私は福井の出身で、いつか永平寺でフィールドレコーディングをしてみたいのだけど、どうやってもなかなか機会がつくれなくて。行政を絡めた企画でもNGでした。遠藤さんはお寺に精通しているようだけど、なんとかなりませんか?」と岡田さん。
僕は「なんとか、なるかもしれません。」と答えた。
小田原へ
岡田さんと再会を約束してFacebookで繋がると、共通の友人が何名かいることがわかった。風鯨社 美咲さんと岡田さんとの繋がりに気付き、駒沢敏器さんにまつわるイベントを打診していることを聞いた。美咲さんとしても僕に協力を仰ごうと思っていたらしく、ならば話は早いと、岡田さんと一緒に小田原へ。まだ開業したばかりの南十字へ行った。
駒沢さんとのミシシッピツアーで録音したという貴重な音源を聴かせてもらい旅行中の写真を見ながら、イベントの方向性を話し合った。お寺で開催して、お坊さんにお経も読んでもらおうということに決まった。ますます駒沢さんの"法事感"が高まる。
岡田さんは、駒沢さん亡き後もこうして本が出たり、駒沢さん由来の人々のつながりが広がり続けることを「向こうで操作してるんじゃないかな」と笑った。
打ち合わせの後、岡田さんと僕は海の方まで歩き、地元の人に教えてもらったお店でアジフライ定食を食べた。
そこで岡田さんは僕にフィールドレコーディングのためのマイクを貸してくれた。お経録音の際の鳴り物で音割れしない方法として32bit float録音のできるレコーダーを購入したので、それにあったマイクを持ってきてくれたのだ。ニヤニヤしながら「遠藤さん、別に言わなくてもいいことかもしれないけど、そのマイクは30万くらいしますよ」と言われ、思わず背筋がピン!と伸びた。
マイクの入ったバッグは「これは息子が昔使ってたやつで、ちょっとボロいし専用のものでもないので、遠藤さんが何か別のバッグを持っているなら代えてもいいですから」確かに少し古めかしいショルダーバッグだったが、僕はバッグも一緒に使いたいと言った。
なんだか嬉しくて勢いづいて「これから数年かけて永平寺とか高野山とか本山級のお山にフィールドレコーディングしに行きましょう!音の巡礼です!」と言うと「じゃあ遠藤さんがお寺での録音をコーディネートして、私が録る。もちろん遠藤さんにも録ってもらって、二人でお経の配信レーベルをやりませんか?」と、提案してくれた。それは願ってもないこと。是非にと回答した。
身延山へ
それから約3週間後、山梨県にある日蓮宗総本山 身延山 久遠寺でのレコーディングをコーディネートした。親しいお寺さんが誘ってくれた特別な法要があり、その法要も録らせてもらえることになった。
宿は宿坊「端場坊(はばのぼう)」。相部屋で少し寝て、まだ暗いうちに起きて、大鐘の打鐘音を録音した。岡田さんは「32bit floatで録ると、大きな鐘の音でも割れずに最後まで綺麗に録れるねえ」と喜んでいた。
その後も山内を歩き回って様々な音を録り、夕方の特別法要も最後までしっかり収めた。終電が危うくなり、タクシーで飛ばしてもらったのもいい思い出だ。
岡田さんは僕のことを色々と褒めてくれた。レスが早くて仕事がしやすいよとか、遠藤さんはなんだか付き合いやすいねとか。あと、Apple Watchのバンドが同じ柄だとか、モンベルの折り畳み傘も色までお揃いだね、とか。お酒が好きなところも気があった。なんだか急に、少し歳の離れた友達ができたみたい。そして、僕にとってはフィールドレコーディングの師匠が現れたのだと思った。
マスター・オカダ。心の中でそう呼んでみた。
不安と脱力
「次は高野山だ」
和歌山大学の学園祭にトークゲストとして呼んでいただいたので、少し足をのばして高野山へフィールド録音の下見に行った。高野山出版に勤めておられた知り合いのお坊さんにご案内いただき、中の人とつながり、ありがたいことに高野山でのフィールドレコーディングの許可も得られた。
東京に戻って、高野山の報告をしようとメッセージを送ると、なかなか既読にならない。普段はとてもレスの早い岡田さんなのに、、、。
でも、京都に録音に行くと言ってたから、戻ってきたら連絡があるだろう。
数日経っても既読にならない。携帯にかけても出ない。流石に不安になってきて、以前もらった2枚の名刺にある電話番号にかけてみた。一方は誰も出ない。もう一方は留守電になったので、メッセージを残した。
すると、留守電を残せたほうの事務所にいる人物からコールバックをいただいた。岡田さんと一緒に Petit Cafe Records という環境音の配信レーベルをやっている我妻さんという方だ。
岡田さんは、京都でレコーディング中に転倒して頭を打って入院しているとのことだった、、、言葉が出ない。
その後も我妻さんは親切に経過を知らせてくれた。京都からご自宅の近くまで転院したこと。呼びかけに反応があるということ。リハビリによる回復を目指していること。「岡田さんなら、きっとまた僕たちに笑顔を見せてくれますよね」我妻さんとそう願いあった。
しかし、12月になり聞きたくなかった知らせをうけることになってしまった。一気に力が抜けた。
しかもタイミング悪く僕はコロナに罹患していて、ちゃんとお別れができなかった。
師として
岡田さん&美咲さんと企画していた、駒沢敏器さんの追悼イベントはできなくなってしまった。本山を巡る音の巡礼計画も一先ず休止だ。お借りしていたマイクはバッグと一緒に返却した。
僕は手の届く範囲の安価なコンデンサーマイクを二本購入した。岡田さんがお経を録るために買ったと言っていた、ピンマイクタイプで32bit float録音のできるレコーダーも真似して買ってみたりした。
たった数ヶ月のことだが、色々と教えてもらった。僕の音源も聴いていただいて、アドバイスをしてくださった。一緒に身延山に行った時のデータも送ってくれて「次回はこうしたい」という話もしてくれた。岡田さんとのやりとりから、僕のお経の録音スタイルも決まっていった。
そう呼ぶことはなかったけど、やはり、師匠だと思っている。ありがとうございます。
時は流れて
そして今年に入って、風鯨社の美咲さんから「知名オーディオさんと南十字でイベントやることになったから、もしよければ手伝って!」と連絡をもらった。冒頭で紹介した「小説『ボイジャーに伝えて』×知名オーディオ ~小説に出てくる音の世界を堪能しよう~」というオーディオリスニングイベントのことだ。
『ボイジャーに伝えて』で夢想したサウンドが現実に聴けるなんて!とワクワクすると同時に、僕はやはり岡田さんの顔を思い出した。昨年、残念ながら諦めた会が、まさかこのような形で実現するとは。
生前の駒沢さんや岡田さんを知る人たち『ボイジャーに伝えて』の読者たちにお経の音源を聴いてもらえたことが嬉しかった。僕としては岡田さんとのことを人前で語ったのは初めてで、思わず涙が出そうになった。
なんともあたたかい場だった。
終わりに
この文章は、イベントのレポート記事として書き始めたのだけど、書き始めたらそれにおさまらなくなってしまった。長い文章をここまで読んでくれた方、ありがとうございます。
自分としては「こういうことがあった」ということを、いつか誰かに話してみたいと思っていた。なぜそう思うかというと、岡田さんに感謝の気持ちがあるから。岡田晴夫さんという人物が、みんなの前からいなくなってしまう直前の時間をどのように過ごしていたか。僕だけの視点から、岡田さんを知る人たちに知らせたいと思うのだ。
人の死にまつわることは、なかなか語り出しにくいこと。だけど、こうして言葉にすることで、そこからまた新しい縁が始まることもあるのだろう。
岡田さんは、駒沢さんが亡き後にも本が出たり、駒沢さん由来の人々のつながりが広がり続けることを「向こうで操作してるんじゃないかな」と笑っていた。でも今は、その駒沢さんの隣で一緒になってニヤニヤと僕らを見ている岡田さんの顔が思い浮かぶのだ。
最後に『ボイジャーに伝えて』より、主人公・北山公平の台詞を引用して締め括りたい。
僕も今、同じように思う。