プルス・ウルトラ
作業の間,いつも何かしらのアニメを見ている。
興味のある物を見ると作業に集中できないため,そこまでの興味がわかない物を見ている。少年漫画のアニメが特に好ましい(大変分かりやすく,話数が多くてずっと流していても尽きないため)。
今は僕らのヒーローアカデミアを見ている。
先週まで犬夜叉を見ていたので,色々と時代の違い的なものを感じて面白い。
ヒロアカでは,主人公及び主人公の所属する1年A組の仲間が成長するにつれ繰り返し言われるワードがある。それが「プルス・ウルトラ」。
もっと先へ進め,限界を超えろ的な意味である。
既に絞ったボロ雑巾みたいな心持の私には,プルス・ウルトラの精神はまぶしすぎるなと思いながら眺めている。
私も元来かなり熱血側の人間であり,努力はするべし!一生懸命生きよ!みたいな人間だが,その性根と精神強度がかみ合わなかったために病んだ。
ここぞという時にプルス・ウルトラを体現できる主人公と違って,気持ちではやるぞと意気込みながら体力が追い付かずに倒れたりするヒロインの方にちょっと共感する。
プルス・ウルトラ,とても美しい心構え。しかし,それを実際に体現できるのはやはり主人公だけなのだと斜めな見方をしてしまう。
心を病んでしばらく経ち,病んだなりに踏ん張って生きていく術を見つけた程度の状態のか弱い私にも,やはり性根が変わることはないらしくプルス・ウルトラの精神が宿る瞬間はある。
しかしすぐに消えてしまう。何のために?の疑問が生まれるから。
人は何のために頑張るのだろう。何のために成長しようとするのだろう。
概ね自分のためだろう。人のためだという人もいる。”人を救う・人を喜ばせる”ことを自分の喜びとして,自分のためだと言う人もいる。
私は今の自分に何も望んでいない。承認欲求は人並み以上にあるし,周りの世話になっている人間の役には立ちたいと思う。でも,いくら私が優しく律儀に生きたところで,利用されて終わるということを知ってしまった。
本当は違うのかもしれない。あるいは,他者との関わりは大なり小なり利用しされることに終始するのかもしれない。
でも,私はそこを飲み込むことができなかった。
他者の利益になるだけの人間にはなりたいし,利用する価値のある人間だとは思われたいが,利用されたくないと思うようになってしまった。
だから,わざわざ自分の限界を超えるほどの努力をする必要はないだろうと思うように,なってしまった。
プルス・ウルトラの精神を持つためには,少なくとも私が私自身を好きになる所から始めないといけないのだなと思う。
私が私自身のために心の底から動くようにならないと,ダメなのだろう。
つくづくヒーローとは自尊心の高いキャラクターだと思う。
なんだか映画のJOKERが見たくなってきた。私って単純なんだよな。
熱血よりな性根とは,熱しやすく冷めやすいだけの性格の一端に過ぎないのかもしれない。つくづく,何もできない人間だ。
今日もわらでも掴むように,ぬるい努力を重ねる。