プライドの高さと負け
私は人付きあいがとことん苦手だ。
表面的な付き合いはできる。友達もいるし、人見知りをするわけではないので初対面の人とも話せる。
しかし、多分私は人との関係性を、自分の時間における一機能としてしかみていないのである。
この人が好きだ、と思う時も、「この人のこういうところが、自分の人生にとってこういう価値がある(から好きだ)」と説明ができる。
親との「親子」という関係性についてすらそうだ。
みんなそうではないのだろうか。いやきっとみんな大なり小なりそうで、それに気づかないか、気づいたところでそんなもんだと突っかかったりせずに暮らしているのだろう。
私は結局要領が悪いので、いつも突っかからなくていいところに突っかかる。
突っかかっるというか、基本的にスルー出来ない。
スルーができないから大した処理能力もないのに、情報ばかりをため込んで押しつぶされてしまう。
みんな程よく色々なことが無視出来て本当にすごい。そう見えているだけなのかもしれないが。
上手くいくことと、上手くいかないことの繰り返しだ。学びよりも感情がかつ。そういうことじゃないと思った時わざわざ説明しようとする癖は少し改善してきた。しかし飲み込んだ気持ちを抑える術はまだ足りない。
清く正しくいようとは微塵も思わない。
何かを望んでも叶わないことはいい加減デフォルトに組み込みたい。
それは別に絶望でもなんでもなく、希望の形の一つなのだから。
まだ人間関係に何かを希望しているんだろう。これもきっと癖だろう。
だからまだ自分が他人との関係に機能性を求めているだなんて一般的なことに悩んでいるのだろう。
暗闇に入って自分で手探りで星の見える場所へたどり着く技術を早く得なければ。頑張ろう。